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女子聖学院中高ASF情報

【ASF NEWS №61】& Talk 〈特集〉紡ぐ想い(2/2)

■ 生徒一人ひとりを理解し、 ベストを模索してくれる学校

村治 私の学年は、和楽器をお父上から継いで演奏家になった方や、ダンスを頑張っている方、スポーツライターになられた方など、一つの才能を突き詰める人たちが多かったと記憶しています。そういう人たちを特別扱いせず、しかし一定の理解は示す。小倉先生がそういうスタンスを作ってくださったから、私たちも個性を生かせたのだと思います。

小倉 女子聖学院は伝統的に個性を尊重する学校ですから、私だけというわけではありませんが、学校の特色を生かして個性を伸ばしてあげたいという思いはありました。

村治 私、修学旅行に行っていないんですよ。修学旅行は5日間くらいの日程で、当時はひどい風邪でもひかない限り5日もギターを弾かないということはありませんでした。一つのものを極めることと学校生活を成立させることの難しさをその時実感しました。

小倉 芸術家として生きていくことの厳しさや内面的なコンフリクト(葛藤)を、村治さんはあの歳ですでに経験しつつあったということですよね。

村治 修学旅行に関して、学校の先生方が、ギターを持っていくことを許可するか、許可したとして旅先の雰囲気の中で本当に練習できるのか、楽器の管理はどうするのかなど様々に議論してくださいました。特別扱いしないけれども理解を示すというのはこういうことなのだろうなと思います。そして芸術、音楽に理解がある小倉先生のような方が身近にいてくださるのは本当にありがたかったです。

小倉 音楽の話になると際限がありませんが、私は村治さんの演奏が大好きです。村治さんが交響楽団をバックに演奏したバッハを、濱田滋郎さんという音楽評論家の方が絶賛していました。「村治佳織はクラシックの世界にギターの地位を確立した」と。実際村治さんの演奏を聴くと、練習に練習を重ねたからこそ到達できる技術と、それをベースにした繊細さが伝わってきます。その繊細な音の中に、一生懸命探求した末に見つけたであろう奥行きのある音を感じます。

村治 ありがとうございます。在校時代もこうやって褒めていただいていました。

前回お会いしてから10年くらい経ちますが、こうしてお話しさせていただくと、在校当時と何も変わらない空気がありますね。卒業して10年くらいは定期的に家族ぐるみでお食事させていただいたり、コンサートに来ていただいたりしていましたし、女子聖コンサート(※2)に呼んでいただいて2年に一度はチャペルで演奏もしていました。

※2 女子聖コンサート 女子聖学院で1986年から毎年開催されていたPTA主催のコンサート。

■橈骨(とうこつ)神経麻痺と、それを支えてくれた聖書のことば

小倉 私はあなたが手指の病気で大変悩まれたときのことをよく覚えています。

村治 橈骨神経麻痺(手首や指を動かしにくくなる病気)の時ですね。小倉先生がすぐにご連絡くださって、会いに来て励ましてくださいました。

小倉 ギタリストとしてはとても辛い時期だったと思います。

村治 本当に先生の励ましと共にいただいた聖句に支えられました。

小倉 村治さんがそのことを、昨年NHKの番組で語っておられたのを拝見しました。

村治 10年以上前、日経新聞の連載でも書かせていただきました。

小倉 贈った聖句は、神様が試練と同時に逃れる道をも備えてくださっているという御言葉です。これは慰めに満ちた深い言葉だと思っています。とはいえ多くの人は、そのまま聞き流してしまいます。この聖句を心に留め受け止められたのが、村治さんの感受性の素晴らしいところだと思います。

村治 先生は聖句と共に生きていらっしゃいます。だからこそ先生のお言葉が私の心に響いたのだと思います。

小倉 こんな立派な卒業生を持つとは予想だにしていませんでした。福田先生が「彼女は別格ですよ」と太鼓判を押していました。

村治 恐れ入ります。この3月31日デビューから30周年を迎えることができました。中2から中3の春休みにリサイタルを開催し、10人ぐらい女子聖学院の同級生が来てくれたことを覚えています。30周年を迎えて「30年間どうですか?」とよく聞かれますが長いとも短いとも感じられます。不思議な気持ちですね。

小倉先生が聖学院に関わられていた期間はどれくらいなのですか?

小倉 女子聖学院短期大学で12年、女子聖学院中高で24年。学校法人全体に関わらせていただいて副院長と聖学院幼稚園の園長、聖学院小学校長も兼務しました。合わせて40年。私は幼稚園から大学まで教えた唯一の教師です。

村治 もう聖学院のレジェンドですね。この対談を読んでいる卒業生の皆さんに、小倉先生は雰囲気が全く変わってませんよということを声を大にしてお伝えしたいです。

小倉先生から村治さんに贈られた聖書のことば

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」コリント人への第1の手紙10章13節(口語訳聖書)

■これからの女子聖学院に 期待すること

村治 生けるレジェンドとしてぜひお聞きしたいのですが、今後の女子聖学院にどんなことを期待されますか?

小倉 やはり変わらない部分と変わる部分があると思います。変わらない部分はキリスト教精神に基づく人格教育です。これはずっと大事にしていってほしいです。変わるべきところというか変わっていくであろうところは、隣に男子の聖学院中高がある中での女子教育のあり方だと思います。思春期を女子だけで過ごすことには重要な意味があります。そこは大切にしつつ男女で一緒にできることもあると思うので、柔軟であったら良いと思ってます。

村治 確かに社会に出れば男女問わずいろいろな人と出会えるわけですから、同性としっかりと信頼関係を作る時期があっても良いと思います。

小倉 先日、男子と女子、両方の宗教委員が合同で私に聖学院の歴史を話してほしいと依頼をしてくれました。本当に良い計画だと思います。こういう動きが出てきたら、いち早く育てていくべきですし、その工夫をすべきですね。

村治 未来を感じられるとても明るいお話をうかがえました。であれば卒業生同士も交流したいですよね。男子には講談師の神田伯山さん(※3)やバンドネオン奏者の小松亮太さん(※4)がいらっしゃいます。昔はほとんど交流がなかったように思います。私の在校時、お昼休みにフェンス越しに男子と話している生徒が「そこの人たち離れなさい」ってスピーカーで注意されているのが聞こえました(笑)

小倉 同じ駅、同じ通学路を通っていた者同士が、お互いそれぞれの場所で頑張っているという話が卒業後もできると良いですね。

村治 そうですね。今日お会いできて私も小倉先生とのご縁を結び直した感じがします。この冊子も卒業生と母校との縁を結び直すものになりますよう願っています。

※3 神田伯山さん 講談師、六代目神田伯山。2007年11月三代目神田松鯉に入門し、2020年2月真打昇進と同時に六代目神田伯山襲名。持ちネタの数は15年で180を超え、独演会のチケットは即日完売。講談普及の先頭に立つ活躍をしている。(出典:六代目 神田伯山オフィシャルサイト https://www.kandahakuzan.jp/profile/ 出典より抜粋)

※4 小松亮太さん バンドネオン奏者。1998年CDデビュー。「ライブ・イン・TOKYO〜2002」がアルゼンチンで高く評価され、2003年にはアルゼンチン音楽家組合(AADI)、ブエノスアイレス市音楽文化管理局から表彰。2015年、大貫妙子との共同名義アルバム『Tint』は、第57回輝く!日本レコード大賞「優秀アルバム賞」を受賞。洗足学園音楽大学客員教授。(出典:小松亮太公式サイト https://ryotakomatsu.net/ 出典より抜粋)

ASF NEWS No.61
取材日/2023年5月

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