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【ASF NEWS №61】& Talk 〈特集〉紡ぐ想い(1/2)

聖学院創立120周年特別対談 小倉義明先生(元女子聖学院校長)×村治佳織さん(ギタリスト・女子聖学院卒業生)

高校卒業まで6年間
女子聖学院で他の生徒と一緒に学んだこと
それが今日の村治佳織さんの視野や
人間関係の広さにつながっています。
村治さんがプロのギタリストとしての活動と
学校生活を両立できた背景には
小倉義明先生の、村治さんへの理解と支えがありました。


聖学院各校には音楽や芸術、芸能の分野で活躍する卒業生が数多くいます。世界的ギタリストの村治佳織さんもその一人です。村治さんは女子聖学院中学校・高等学校(以下、女子聖学院)の卒業生で、中学生の時にすでに様々な音楽コンクールで優勝し、プロとしてデビューもしていました。進むべき道が明確である分、学校生活との両立など普通の中高生が経験しない苦労もあったのではないでしょうか。そんな村治さんを理解し支えたのが当時女子聖学院の校長をされていた小倉義明先生でした。卒業後も家族ぐるみで交流が続いた村治さんと小倉先生。お二人に、当時を振り返っていただきました。

■卒業まで女子聖学院で導くと 決めた小倉先生の覚悟

村治 もう何年前になるでしょうか?私が入学したのは。

小倉 30年くらい前ですかね。今でも忘れられないのは、村治さんのギターの指導者であった福田進一先生(※1)に、村治さんの今後について相談をした時のことです。あなたが中学生の時、音楽コンクール優勝を果たした後の祝賀会でのことでした。私は福田先生に、村治さんがこのまま女子聖学院にいても良いのかお聞きしたのです。女子聖学院はどんな生徒でも特別扱いしません。村治さんにはギターを練習する時間が必要なのに、女子聖学院にいれば他の生徒と同じように一般的な学業にも時間を取られます。両立するのはとても大変なことです。すでに開花した才能を足止めしてはならないと私はずっと思っていました。そのことを福田先生にお尋ねしたのです。

村治 そうだったんですね。

小倉 すると福田先生は「ぜひ女子聖学院で勉強を続けさせてください」とおっしゃいました。「ひとたび音楽の世界に入ると、ひたすら音楽だけになり、人間関係も狭くなります。せめて佳織さんには中学高校といろいろな人と触れ合い、友だちとの時間を作ってほしい。それが人間としての基礎経験になりますし、今しかできないことなのですから」と。私はそれまで村治さんにとって何が最良の選択か思案していましたが、福田先生のお言葉で覚悟が決まりました。

村治 先生同士でそういう話し合いがあったんですね。私はギターとは別に、学校は学校として頑張れたと思っています。それはやはり一生徒として学校に通えたことが大きかったと感じています。今のお話を聞いて、その背景には小倉先生の覚悟があったんだと知りました。また福田先生がおっしゃったように卒業後は音楽関係の方との交流が多くなりました。それでも私が音楽一辺倒にならず、広い視野や人間関係を保てているのは、卒業まで女子聖学院に通ったことも大きく影響しています。ちなみに女子聖学院を選んだのも、一番成長する15〜16歳の時に受験勉強に時間をとられないようにという父の配慮がありました。私は父を含め、周囲の方に本当に恵まれていたと感じています。

※1 福田進一先生 クラシックギター奏者。パリ・エコール・ノルマル音楽院を首席で卒業。1981年パリ国際ギターコンクール優勝。平成19年度外務大臣表彰。平成23年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。上海音楽院、大阪音楽大学、広島エリザベト音楽大学、昭和音楽大学客員教授。(出典:日本コロンビア https://columbia.jp/artist-info/fukuda/prof.html 出典より一部変更)

■女子聖学院で培われた 感謝の気持ち

村治 女子聖学院で身についたことの一つに、感謝の気持ちがあります。私はよく「恵まれている」、「感謝する」という言葉を使います。それは女子聖学院で、聖書や朝の礼拝を通してキリスト教の精神をシャワーのように浴びてきたからだと思っています。また母からも「感謝を大切にしなさい」とよく言われていました。キリスト教精神と母の教えがうまく組み合わさって、今の私の一部を作っているのだと思います。信仰は別として、10代でキリスト教精神に触れ、6年間一つの教えを受けるというのは人生において非常に大事なことでした。

小倉 10代の経験は人生の基礎的な部分に大きな影響を与えます。それだけに教育に携わっている私たちには非常に責任があると感じています。

村治 またキリスト教教育ということで印象に残っているのは、大人が一つの信仰をもって頭を下げる姿です。校長先生は学校のトップというイメージを持っていましたが、その校長である小倉先生でさえ頭を下げる存在があるのだと知り、驚きました。神様の前では学校の先生であっても一人の人間なのだと感じた場面でもありました。

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