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FOCUS リーダーズメッセージ_女子聖学院中高
近視と遠視と永遠と
現在のわたしは、近くの文字が見えなくて苦労しています。遠視でしょうか。世間からは老眼と言われています。
わたしがメガネをかけ始めたのは18歳の時でした。近視眼用です。年齢によって物の見え方が変わる。当たり前ですけど最近は身に染みて感じています。
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過去のわたしは、聖学院中高時代に通っていた教会学校の先生から「君たちは近視眼的なものの見方をしてはイカン。人生はもっと遠くを見ながら生きて行かなければダメだ」と聞かされていました。
中高生時代は得てして目先のことしか見えていません。
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今から思うとその先生は聖書に書かれている「永遠を思う心」旧約聖書コヘレトの言葉3章11節「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」を指していたのではないか、と思われます。
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未来の世界はどうなるのでしょうか。新型コロナウイルス禍の只中に生活するわれわれは誰でも考えるのではないでしょうか。近視眼的に考えては悲観的になります。遠い先を見なければなりません。更に悲観的になると言うかもしれません。
自死の数も増えたと残念なニュースも伝わってきます。どうしたら良いのでしょうか。
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聖書は「何事にも時があり」と語ります。
Providence「摂理」という言葉は、ギリシャ語のπρονοια「ご配慮」からなり、関係するラテン語ではpro-videre(forward-vision)「前方−見る」となります。即ち神様はいつも先を見越しておられるのです。そこには主なる神様の恵みが用意されています。
ノアの洪水の後に虹があったように、約束のしるしである希望を見るのです。希望を失うことがなければ、新しい一歩を踏み出せます。
(原稿執筆/2020年5月20日)
日本基督教団大宮教会伝道師・内灘教会牧師。北陸学院中学校・高等学校・短期大学にて教鞭をとる。英国留学を経て酪農学園大学(北海道)に着任、副学園長を務める。2007年、母校である聖学院中高の校長に就任。
キリスト教センター所長、副院長を経て、現在は学校法人聖学院院長・女子聖学院中学校・高等学校校長を兼務。