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&Talk 特集 ことばと生きる 聖学院の実践例 (1/3)

聖学院では日々「ことば」を大切にした教育活動を行い、成長の促進や感性の育成に取り組んでいます。日本の多国籍化が進み、日本の学校で日本語の授業を受ける外国人は増加、またスマートフォン等の普及により、コミュニケーションの在り方にも変化が生じています。日本語で、日本の文字で、自分のことを発信し誰かのことを理解する。今このことがより一層重要になっているのではないでしょうか。今号はコミュニケーションの土台とも言える「ことば」について、聖学院ではどのような教育を実践しているのか、様々な角度から考察していきたいと思います。

国語が明治維新後の教育制度によって成り立ったことを考えると、国語の創成期の目的は識字率向上だったと思われます。読み書きができるようになることで、文字を使った表現のスキルや、誰かが書いた文章の読み取り方を学ぶことも可能となりました。言語教育では、口頭でのコミュニケーション「聞く」「話す」に、文字でのコミュニケーション「読む」「書く」を加えて4技能と呼びます。この4技能とそれを用いた表現と読解が国語教育の基本です。国語というと文学作品(古文、漢文含む)や作文という印象を持つ方も多いのではないでしょうか? 一方で、本当に国語はそれだけを学ぶ教科なのでしょうか? 国語という教科の本質について理解を深めるため、女子聖学院中学校・高等学校(以下女子聖学院中高)の筑田周一先生と聖学院中学校・高等学校(以下聖学院中高)の安藤希先生に、聖学院の国語科教育についてお話をうかがいました。筑田先生は演劇部とディベート部の顧問をされていて、安藤先生はビブリオバトル(詳細後述)を授業に取り入れています。

現代の国語は理解する力と表現する力を重視

ーー国語の変遷を教えてください。

筑田 最初は国民の識字率向上という目的があったと思います。ただそれだけということはありません。国語はそもそも現代文の他に古文、漢文、3つの分野を扱う科目です。また戦前の国語の教科書には理科や社会の要素も入っていました。全体的な教養を養う教育の中心的な科目だったようです。戦後、理科や社会は独自の科目になりますが、他教科を学ぶ上での基礎科目であることは変わりません。2020年度以降に改訂・実施された学習指導要領では、国語科の目指す力を「国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力」と定め、その実現のために「学びに向かう力・人間性の育成」「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」が教科として重視されるようになりました。

自分の意思を発信する 女子聖学院中高、クリティカルシンキングを 重視する聖学院中高

ーー各校の国語科の特徴について教えてください。

筑田 学校法人聖学院はキリスト教主義の学校で、聖書に基づく人格形成を行っています。聖書の中に「初めに言があった」(※)と記載されていて、やはり言葉は神様からもたらされたものですから、その言葉というものに対して感性を磨いていく、もしくは大切に使っていくということ。どの教員もその点を重視して授業を行っていると思います。
 加えて女子聖学院中高には「Be a Messenger」という教育目標があり、自分の意思を発信していくことを重視しています。それは学校文化としても根づいていて、合唱コンクールや運動会においてリーダーの生徒が仲間全員に手紙を書いて送ることがあります。何かにつけて自分の思いを発信していくということが定着しています。国語科においてもそれは同じです。そして発信するためにはやはりその前段階としてインプットが必要です。アウトプットを意識させることで生徒はインプットに目を向けます。例えば、どうしたらもっと的確に話すことができるんだろうかと考えることが、読書や辞書引き、友達とディスカッションすることなどにつながります。結果、4技能を満遍なく学べるのではないかと考えています。
 また、国語というと感性と思われがちなのですが、非常に論理的な教科です。そのことを生徒に理解してもらうため「読む、書く、聞く、話す」それに「考える」という思考を加味して授業を展開しています。

安藤 聖学院中高には「StudentからLearnerへ」(教えられる存在から主体的に学ぶ存在へ)という教育コンセプトがあり、国語科にも根底にはその考え方があります。学習の中に生徒の興味関心があれば生徒は自ら学ぶ、教員は興味関心の仕掛けを作るという考え方です。
 国語科自体としては、社会で当然と思われていることを疑う姿勢や考え方、批判的思考を重視する傾向があります。中学1・2年生の国語を現代文とクリティカルシンキングに分けていることからも表れています。クリティカルシンキングの授業では論理的に正しくないところを見抜く学びを体系的に行っています。「みんなが言っているから、それが当たり前だから」で考えを終わらせず「本当にそうだろうか」と自分ゴトとして問い続けられる生徒像を目指しています。

※「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。」出典:ヨハネによる福音書 1 新共同訳 聖書YouVersion (bible.com)

(取材日/2024年2月)


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