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鼎談 渡邊しのぶ×関幸子×北野敦子

聖学院ニュースレターNo.277 取材日/2020年7月

小学校の図工と中学校の美術。アートを義務教育として学ぶ期間は9年間。その9年間は子どもたちにとってどういう時間なのか。小学校の図工教育に関わっている北野先生、関先生、女子聖学院中学校・高等学校で美術の指導をされている渡邊先生に、聖学院の表現教育についてうかがいました。

写真左:北野 敦⼦(聖学院小学校教諭)●女子美術大学デザイン科卒業。公立や私立中学高等学校の美術講師を経て、2011年より聖学院小学校に入職。現在は小学校3年・4年生の図工を担当。写真中央:関 幸⼦(聖学院小学校教諭)●学芸大学初等教育学科美術専修卒業後、公立中学校で美術を指導。担任教諭として聖学院小学校に。育児のため一時休職し、公立小学校で特殊学級担任を経験。2006年から聖学院小学校勤務。写真右:渡邊 しのぶ(女子聖学院中学校・高等学校美術科教諭)●専門は陶磁器の色絵研究。現在、中学3年生の担任と学年主任を兼任中。

家にいる時間が増えたことで、何か作り始めたという人も多いのではないでしょうか? 小学校の頃の図工を思い出して画用紙で工作をしてみたり、絵を描いてみたり。クリエイティブなことを楽しめるというのは一つの才能であり、それを身につけているのは幸せなことだと思います。そしてその土壌はやはり教育にあります。

小学校では校舎全体をつかった校内作品展を開催

北野 6年ほど前、新校舎になって階段がらせん形のような珍しい形になりました。その特性を生かして小さな美術館のような展示がしたい、というところから校舎全体を使った展示企画が始まりました。展示全体で森とか自然という大テーマを設け、その世界観に合う、より具体的な6つのテーマ(妖精や植物など)を作り作品展を構成しています。学年それぞれが1つずつのテーマに沿って作品を作るので一人ひとりの個性も大事にしつつ、全体としてのまとまりも出せていると思います。また、保護者の方に自分の子どもの作品だけではなく、他学年の作品、色々な成長の形を見ていただきたいという思いもありました。そのため順路のようなおすすめルートを作り、そのルートに沿って進むと、全学年の児童の作品が見られるようにしています。聖学院小学校では、学年の違う1~6年生までの6人でテーブルを囲むスクールランチという給食の時間があります※1。他学年にも友だちがいるので、その友だちの作品を見つけて親子で盛り上がれるのも聖学院ならではです。「うちの子と気が合うんだなと分かって、他の友だちの作品も見られてすごくよかった」というお言葉をいただいたこともあります。

 授業でもクラス単位で作品展を見て回って、子どもたちが自分の気に入った作品を見つけたら各自iPadで撮影し紹介するということをしています。

図工や美術は楽しさ、自分らしさを知るための授業

 普段から大きな教育目標を意識しているわけではありませんが、一つ思うことは、たとえ不得意でもとにかく図工や美術を「嫌い」にはならないで欲しいということです。得意な子どもでもクリエイティブな仕事に就くとは限りません。だから一生のうちのどこかで、ものづくりやアートを楽しめることの方が大事かなと思ってます。例えば、家具や食器を一つ選ぶにしても楽しんで選べれば人生は豊かになります。小学校では極力楽しみながら技術を身につけて、中学校に送り出してあげたいです。

北野 自分らしさみたいなものを見つける機会になると、より良いと思います。題材が同じでもまるっきり同じ作品はできませんよね。色を選ぶ事もそうですし、構図もそうですし、友だちと見比べたときに「自分らしさってこんな感じなのかな」と、ふんわりで良いので感じてもらえたら良いなと思います。友だちにも『らしさ』があって、その『らしさ』をお互い大切に出来る、授業を通じてそういう基礎ができたら素晴らしいですね。

 私が子どもの頃の図工の授業は正解があって「こういう風に描かなければいけない」とか「ここまで仕上げなければいけない」という時代でした。それが徐々に北野先生が言ったようなそれぞれの個性を認めるという形に変わってきたと思います。

渡邊 確かに美術は苦手になりやすい教科ですね。中学では入学した時点ですでに「絵を描くのが苦手」という生徒が多いです。

 小学1年生だと自分の絵がすべてじゃないですか。楽しんで描いて、どんな風に描いても皆がほめる。それが学年が上がってくると、技術が伴わなくなってきてめげるのかもしれません(笑)

渡邊 美術は人と答えが違っていることに、喜びと自信を持って良い唯一の教科だと思っています。ですから、中学1年生の授業では「違いを楽しもう」と教えます。例えば入学して最初に描く「つぶれた缶」では、まず缶を木槌で好みの形につぶしてから描かせます。こうすると隣の人がたまたま同じ缶を持ってきて描いていても気にならず、絵に集中することができます。また評価は作品全体で判断するのではなく、色が金属のように見える表現ができているか、ゆがんだ商品名を見えた通り描けているか、などの課題をクリアしていくことで加点しています。自分が描いたものに成績がつくというのは、生徒によっては辛いことですので、やり遂げられた部分をそれぞれ加点し評価しています。

美術を通して身に付く集中力

渡邊 また、おしゃべりしながら描いた作品と、集中して描いた作品では明らかな差が出ます。それがどのくらいの差なのか、実際に体験する授業も行っています。例えば、つぶれた缶の周り一周の凹凸だけを見つめてゆっくり描くと、記憶にない形なので集中することができます。手本の絵を逆さまに見ながら描いたりもしています。しゃべりたくなくなる状態を不思議に思ったり、そんな自分を振り返り笑ったりしながら、できあがった鉛筆の線はしっかり太くなることも学びます。

 集中力ってすごく大事ですよね。小学校の課題は、集中の持続時間が比較的短いことでしょうか。

北野 はい、短いですね。

 そこには常に問題を感じています。今、コロナ対策で極力しゃべらないようにするチャンスだと思うところもあります。図工室に入った時に「密になるからしゃべらないで」と声をかけると、しばらく無言の時間が続きます。そこで「鉛筆の音しか聴こえないね」というと児童は「そうだね」と自分が集中していたことに気づきます。しかし、これが2時間続くか、と言うと…。

北野 続かないですね。長くて30分かな、という感じです。続いたら続いたですごく疲れてしまうみたいで、その後の授業の「記憶がない」とか言っている子もいるので(笑)

自粛期間と図工・美術

渡邊 緊急事態宣言の中、学校へ登校できない期間の宿題として中学生へ向け絵の下描きを課題に出したところ、ものすごく細かく丁寧に仕上げた生徒が多かったです。

一同 へ~。

渡邊 受験を控える高校生にとって大変なその期間中、中学生とオンラインで面談をしたのですが、ほとんどの生徒が「今の状態は楽しい」と答え驚きました。「2週間一歩も外に出てませんが平気です」「自分はインドア派だから」「今まで土日もクラブで忙しすぎた。こんなに心に余裕があるときはなかった」とポジティブにとらえていました。そして生徒たちは、家族の食事を含めいろいろと何かしら作っていると言っていました。こういう状況になると、人は何かを作りたくなるのかなと仮説を立てたくなりました。思わず「うわ!」と声をあげるくらい丁寧に仕上げられた下描きの宿題も、この何かしら作る時間に丁寧に制作したのだと思われます。

 小学校は終了式をしないでお休みに入ったので、絵具からクレヨンから全部学校にある状態だったんですね。その中で課題を出したらみんな家にあるもので思った以上に面白い作品を作ってきたんです。いい作品ばかりなので学校のホームページに掲載しました。そうしたら、それを見た子どもたちがさらに張り切って作品を作り始めたんです。低学年のご家庭では親子合作という作品もありました。みんな作ることをとても楽しんでいるようでした。
ただ担任の先生の顔を描こうって言ったら、全員オンラインで見た先生の顔になってしまうかもしれません。目の前で話している先生、動いたり一緒に何かやる先生とはやっぱり違ったんじゃないかなって思います。特に小さい子たちが学校再開後に「うーん顔にはひげがあるねぇ」とか「ひげはね鼻の下にも生えているんだよ」とか話しながら描いてるのを見ると、友達と一緒に描くっていうのもすごく大事なんだなと思いました。

渡邊 そういうのも大事ですね。またそれとは逆に教室でみんなでやると「あ、私遅れてる」とかもありますよね(笑)。

 焦りますよね。

渡邊 決められた時間に作り上げるという逆算しながらの行動も大事ですが、焦らない環境も大事ですね。

表現教育で大切にしていること

渡邊 頭の中のイメージを実際に描けたらうれしいことだと思います。その技術を生徒が身につければ、彼女たちは自由に個性を発揮できるようになると思うのです。「どこにもないからあきらめる」のではなく「どこにもないなら作る」、そのような人になってもらえることが理想です。
それにはやはり基礎が大事です。技を教わる中で、いろいろなやり方を経験して自分に合った方法を見つけてほしいです。義務教育が終わると、多くの生徒は美術を終了します。つまり中学の美術教諭は、生徒一人ひとりが美術を学ぶ最後の3年間を任されていることになります。そのことを意識して教壇に立っています。

北野 私は、作ることに食わず嫌いにならず、とにかくやってみて欲しいです。苦手でもいいからやってみると意外と形ができることがありますし、味のある作品になることもあります。完璧を求めるより味のある作品の方が私は素敵だと思っています。それをわかって欲しくて「完璧じゃなくていいよ」というメッセージをいつも送り続けています。完璧じゃなくてもゼロからイチを作り出した経験はとても大事だと思います。

 自分自身と自分自身が作り出したものを小学校のときは好きであってほしいです。たぶん小さいときって思い描いたものがいっぱいあって、上手く描けても描けなくてもどんどん描きたいものが湧き出てくるんだと思います。でも成長とともに上手く描けたかどうかっていう基準が加わっちゃって、描きたいものとか作りたいものが乏しくなっていく。それでも自分が生み出したものを好きでいてほしいと思ってます。
よく自分の小さい頃の絵を親が取っておいてくれることがありますよね。そういうのを後から見ると、自分の描いたものが好きだった頃を思い出せると思うんです。だから小学校時代の作品を、本人だけじゃなくて、親子で大切にしてほしいです。それは自分が何かを大切にしたことの証になるんじゃないかと私は思います。

渡邊 生徒一人ひとりの美術の作品を中1から中3まで取っておいて、中3の送別会にまとめて返すようにしてます。なぜかというと、一個一個返すと…。

 捨てちゃうでしょ。だけど親がこっそり取っておいたり、写真に残してたりしますよね。それで子どもが後から自分の作品が見たいと言って…。

渡邊 そう、ちょっと距離を置くと懐かしくなるんですよね。

 たぶん自分自身もそのときはそんなに思い入れはないっていうか、そんなにその作品が好きだったわけではないんでしょうけど。

渡邊 3年間の作品を1つのファイルにまとめてドーンと。

 でも先生取っておくって大変じゃないですか?

渡邊 倉庫がありますから。

 取っておく先生の労力、エネルギーがすごい。

渡邊 義務教育ラストなので、ラストの3年間の記録です。