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& Talk_聖学院教育の探究学習【理科】

鼎談  佐藤 充恵×松尾 知実×続橋 みなみ

聖学院NEWS LETTER No.280 取材日/2021年7月

知識や課題を教員から一方的に与えるのではなく子どもたちの興味、関心を起点にする聖学院の探究的学習。その考えはテストや知識の獲得にも反映され、さらには未来の持続可能な社会へとつながっています。

(左から)●佐藤 充恵:教職歴19年。聖学院中学校・高等学校勤務。高校の新クラス設置統括部長。ICEモデルを活用した気づきや発見を促す問いを軸に、理解・考えを深める授業を実践。また、限られた時間内で密度の濃い内容を実践し、学習した内容を有機的につなげていくために、ICT機器をどのように活用していくかを模索しながら授業改善を行っている。●松尾 知美:東京都出身。修士課程中に母校の都内女子校で非常勤講師を務めた後、2015年より女子聖学院中学校・高等学校理科教諭として勤務。主に中学校の生物分野の授業を担当。現在探究・ICT委員として、中学生一人一台iPad導入や総合的な学習(探究)の時間の担当をしている。●続橋 みなみ:東京学芸大学初等教育教員養成課程理科専修を卒業し小学校、中高理科教員免許を取得。2021年度より聖学院小学校に入職し、現在3.4.5年生の理科を担当している。

子どもが知的好奇心や概念を獲得するきっかけとなるのは身近な環境にあります。特に自然への興味関心は強く、探究心の目覚めと理科分野は深い関係があると言えます。ではその興味関心をいかに学びへとつなげていくのか、さらには社会で求められる課題解決能力へとどう広げていくのか、理科教育の現場に立つ3名の先生にお話を伺いました。聖学院中学校・高等学校(以下聖学院中高)からは佐藤充恵先生、女子聖学院中学校・高等学校(以下女子聖学院中高)からは松尾知実先生、聖学院小学校からは続橋みなみ先生にお集まりいただきました。

■感動や気づきを探究へと昇華させる授業作り

――授業を作る際、意識されていることや重視されていることは何ですか?

佐藤 私は「わかると変わる」という言葉が好きで、授業を作る時に必ず考えています。植物の特徴を学ぶ時、種子植物、裸子植物という名称が出てきます。しかしそもそも葉のつくりや形、色に共通点があるということはそこに何かしらの理由があるということです。名称を覚えることも大切ですが、普遍的な特徴の背後には本質的な機能があるということを学びとってほしいと思っています。それを通じて生徒がその後、植物を見た時に、ふと疑問を抱いたり、今までと見方が変わって新しいことに気づいてくれたら嬉しいです。そのため授業ごとに本質的な目標の設定とそれによる生徒の変化を考えながら授業を組み立てます。

松尾 私は少し前から問い作りをやっています。中学でも高校でも授業を受けている時、生徒は聞くだけであったりノートをとるだけになりがちです。そうならずに自分の内側から疑問を持ち、問いを立ててほしいと思い、QFT(※)という手法を取り入れました。課題解決には良い問いを立てることが重要であるという考え方のもと、問い作りをする手法です。まずテーマを設定し、それに対してたくさん質問を作ります。次にそれぞれの質問の意味や、本質的な問いかどうかなどを精査します。精査を通して、「良い問いや情報が増える問いとは何か」など、問い自体について学びます。最初は質問が浮かばず消極的な生徒も、慣れてくると次々に質問が出てくるようになります。他の授業でも生徒からの質問が増えるようになりました。

続橋 小学校では、まずは「すごいな、不思議だな、楽しいな」と子どもたちが感じた気持ちを大切にしています。そしてその感じたことを、その子だけではなく他の子にも共有できるよう心がけて授業を行っています。また子どもたちには理科を、1回ごとの授業や学年ごとで終わる教科ではなく、中学、高校になっても身近にある連続性のある学びとして捉えてほしいと考えています。

佐藤 松尾先生、続橋先生のお話に共通することですが、子どもたちには自分の感覚や気づきを本当に大事にしてほしいですよね。私も最初から教えるのではなく、生徒自身が発見できるスタイルをとりたいと思っています。

■テストはラベリングではなく、あくまで成長の物差しという意識が必要

――探究的な学習はテストにも変化をもたらしますか?

佐藤 探究的な授業をやっても、テストが全部知識を問う形だと、結局生徒は探究的な学びを大切だと思わなくなります。1割でも良いから生徒たちが今までやってきたことを発揮する問題を入れるようにしています。例えば、成長とともに葉の形が変わる植物については、なぜ形を変えるのか自分なりのストーリーを書かせる問題を出しています。やはり自分の発見から自分なりの考えを作ったり、自分なりの感覚を持つということはとても重要です。心が動いて、そして見方が変わるという流れを作れるよう試行錯誤しています。

松尾 そういうテストの問題、とても面白いですね。

佐藤 ぜひやってみてください。聖学院中高以外の子たちがどんな解答をするのか興味があります。この問題は正解があるわけではないですし、自分なりに勉強してきた知識を使っていくらでもストーリーが作れると思います。

松尾 佐藤先生がおっしゃるように「テストの点数が成績のメインなんでしょ?」ということになると「課題は知らない、テストの勉強だけしていれば良いんだ」という生徒が出てきます。それはとてももったいないことですし、そもそも知識を吸収するのが得意ならそれを意欲的に使ってほしいと思います。テストに出ない課題にも取り組みたいと思う、またはテストの問題を解くのに課題がいかせる、そういう仕掛けがあると良いですね。

佐藤 テストや成績は評価を固定するラベリングではないということを、生徒に限らず私たち教員も含めマインドセットしていかなければいけませんね。学習到達度を把握した上で、次に何をすれば次の段階へ進めるのかを示している、テストは成長の物差しだということを広く共有していく必要があると思います。
小学校では子どもたちもまだ成績なんて意識しないで、純粋にどんどん学んでる時期ですよね?

続橋 やはりテストは知識を問う側面はあるものの、テストを意識した授業にはしないようにしています。要点は押さえますが、テストや教科書に縛られ過ぎず、子どもたちの思考や興味を広げていけるよう毎回意識しています。また、5年生くらいになると平均点や100点の人数などを聞いてくる子もいます。そういう子には「点数より普段授業で調べたことや、それをどう思ったか、どう考えたかの方が大事」ということを伝えるようにしています。一方、普段自分から発言しない子は、教員もテストの点数でどう理解しているかを判断してしまいがちです。そうならないよう普段の授業から一人ひとりに声をかけて、今どう考えているのかどう思ったかを聞くようにしています。
小学生の場合、とにかく楽しい時の反応が明確です。自分で手を動かしたり観察する実習をすると、自分から積極的に「ノートにこういうこと書いて良い?」と聞いてくる子が結構います。反応がダイレクトな分、子どもたちの興味や気づきを大切にした授業をより一層心がけるようになります。教育実習で行った他校と比べると、聖学院小学校は特に探究の授業や実習が好きな子が多い印象があります。

――聖学院小学校の児童にはどんな特徴がありますか?

続橋 聖学院小学校は、授業をしてみると、子どもたちが自分からやりたいとかこうしてみたいという意見が出てきて、私が予想していた展開を上回る反応を見せます。質問も多く、私が逆に「じゃあこれはどうしてこうなの?」と尋ねることで探究がどんどん進んでいきます。主体的に自分で学んでいける子が多いと感じています。
他の教科の先生方も、児童一人ひとりの初めての気づきやこうしてみたいという要望を大切にし、多少その教科から逸れていても決して否定しません。さらに「こうしてみたら」と促します。子どもたちの発想を「良いよね」と受け入れる柔軟な校風が子どもたちにも伝わっているのだろうと思います。

■〝楽しい〟だけでは深まらない振り返りが学びの質を上げる

――発達段階が上がり、知識の部分が増えると理科を苦手と感じる子も出てきます。理科を好きでい続けるためには何が必要だと思いますか?

佐藤 学ぶ理由が不明瞭なまま植物の名前を全部覚えるとか分類するなど、知識を情報として与えてしまうと子どもたちは学ぶ意味を感じられないのだと思います。知識も、元々は誰かの問いから始まっているので、答えに至るまでのストーリーがあります。つまり探究的な見方、考え方の完成品が知識なので、時間の制限はありますが可能な限りそのストーリーも含めて伝えることが大切だと思います。

松尾 子どもたちにはずっと楽しいと思っていてほしいですよね。

続橋 今教員になって子どもたちを見ていると、小学校の頃にこれだけ探究心を持って学べるのはとても貴重なことだと思います。私が小学生の時はそこまで探究という視点で勉強していなかったと思うので、今の時期に思う存分やってほしいです。

佐藤 〝楽しい〟からスタートして、ではなぜそのままのモチベーションが中学高校と続かないのかを考えた時に、小学校高学年~中学2年あたりで描写の質を上げていく必要があるのではないかと思ったことがあります。なぜ楽しいのか、どこが面白いのかを表現できないと、楽しさも深まってこないし広がりません。今、教育現場でリフレクション(振り返り)という言葉をよく耳にします。生徒が感じたこと、気づいたことをそのままにせず言語化することで定着させたり新しい気づきを得る手法です。他教科においてもそうですが、探究においても自分が感じた「楽しい」を言語化し、深化させることが大切だと思います。そのためにも継続性、小学校と中学校が連携していくことにはとても意義があると感じています。

松尾 中学1年生に夏休みの宿題で自由研究を課すときに、好きなことについて調べるだけではなく、例えば問いをたてるなど、自分が今までに身につけた知識の活用を促しています。そして夏休み明けに、クラス全員が提出したレポートを回し読みします。そうすると、知識が活用できている他の生徒のレポート、描写がしっかりできているレポートと自分のレポートの違いに注目するようになります。自分のレポートを客観的に見ることになり、それがいわば自分の作ったものに対する振り返りになっているのかなと思います。

■理科を学ぶことの意義は何か

――これからの社会や未来にとって、理科を学ぶことの意義とはなんだと思いますか?

佐藤 身の回りの目に見えることはほぼ全て理科の分野に関連していて、一方、電気やDNAなど目に見えない概念も理科は扱っています。身近であり、かつ様々な学びや分野につながるのが理科だと思います。聖学院にはOnly One for Othersというビジョンがあります。自己実現にとどまらずそれを他者貢献にいかすという意味です。その入り口として理科はとても有効だと思っています。他者貢献の文脈でSDGsを考える際も、最初は水を無駄にしないということやゴミの問題など身近なことから興味をもつことが多いのではないでしょうか。その最初の気づきは紛れもなく理科分野です。さらにその事象を深く学び探究することで、「なぜ環境改善は実現困難なのか。わかっているのになぜ行動できないのか。知ってもらうために自分は何ができるのか」という自分ゴト化につながります。そういう社会や人に貢献できる人となるための入り口として理科を学ぶ意義があると思います。

松尾 今の佐藤先生のお話とちょっと近いのかもしれませんが、生きていく上で色々決めたり考えたりする際の、材料としての知識と意思決定プロセスを身につけるのが理科だと思います。最近であれば新型コロナウイルスに関連したことなどがまさにそうです。様々な情報がある中で自分で考え行動を決めなければなりません。その時にすべての知識を持っていなくても「この言葉は聞いたことがある」というスタートラインとなる知識と、そこから自分で問いを生み出し明らかにしていくプロセスが身についていれば、雑多な情報に囚われずに自分の意思決定ができると思います。
ただ、理科だけを勉強していれば良いのかというと、それだけでは視野が狭くなります。極端な話ですが、遺伝子改良を人に施しても良いという考えに至るかもしれません。様々な分野の知識を身につけ、倫理観も含め多面的な視点をもつことが大切です。横断的な学びを通して興味や気づきをどんどん広げていく探究学習の意義もそこにあると思います。

続橋 私も佐藤先生と似ていますが、理科での探究を入り口として、一人ひとりが興味関心をもって考えられるようになることと、あわせて他の人の意見に耳を傾けられるようになることがこれからの社会には必要だと思います。社会には答えのない課題がたくさんあります。その解決にはいろいろな人の考え方や価値観を取り入れることが重要です。また、そうして得た力を自分のためだけではなく、世界や世の中、みんなのために使える人になってほしいです。その意味でも、探究的な学習を小学校からやる意義がありますし、中学・高校と継続していくことが大切だと思います。(取材日/2021年7月)