聖学院教育が目指す方向について_3

 聖学院教育が目指す方向について(第3回聖学院教育会議講演)

 なぜ日本が今日、構造改革をもって新しい社会へと生まれ変わらなければならないとき、このような不幸な反動を企てねばならないのでしょうか。くりかえしますが、聖学院教育会議は、中曾根氏の教育基本法改訂への動きが小渕内閣や森内閣によって形を取り出したときに開始しました。今や、中曾根氏から出てきた日本主義の時代錯誤が、日本の行方を失速させる逆噴射になろうとしています。それは、戦前の教育への 政治的な介入と同質の誤りを無反省に繰り返すことになります。日本を再び(ハンチントンが指摘する)国際的孤立化に導きます。教育基本法は、明治維新以降の日本の問題に 教育が関わっていることを反省し、新しい日本を形成する指針として制定された「基本法」であります。だからその第十条はこう規定するのです。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである。A教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない」。この規定は要するに戦前のウルト ラ・ナショナリズム教育に対する反省から出たもので、教育基本法は、この反省を背景として読まれ、解釈されるべきものなのであります。

 リンカーンが「人民による、人民のための、人民の政治」と言ったが、教育もまた「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」であります。その「国民」とは憲法前文の制定する国民主権の国民である。教育行政の仕事とは何か、まさに、「この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない」のであります。教育基本法の改訂は、一部自民党の益のために企てられ、そしてそれに追随する者たちによって推進されてきたことを、国民は見抜かねばならないのであります。

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 教育がこのような政治の介入を排するためには、みずからを改革し、教育基本法の理想を実現することでなければなりません。そのために聖学院は、この教育会議をもったのであります。多くの論議がなされ、教職員の交流が起こり、そして改革の諸目標が出てまいりました。最後に、聖学院の自己改革の大目的を、以下の三点に要約してみたいと思います。

1. 教育基本法の理想は21世紀の日本において実現されねばならない

(1)「国際社会に名誉ある地位」を獲得することが、日本の政治と教育の大目標である。今日の日本の教育崩壊は、教育基本法に何か問題があった結果ではなく、教育基本法を真剣に実現すべき努力がなされなかったことの結果である。日本国を「国際社会に名誉ある地位」へと導き上げることが日本の政治と教育の目標であるならば、それは教育基本法の理想を実現すること以外にない。

(2) 「国際社会に名誉ある地位」を獲得するためには、日本は島国であり、鎖国の経験も残り、国際社会で活動する人間の養成において遅れていることを認め、それを克服することに一層の教育的留意が必要となる。教育基本法を日本ナショナリズム復元の動きによって改正する企ては、無明の指導者に教育を任せることとなり、戦前ナショナリズムの犯した過ちを繰り返すことへと導き、日本の将来を世界の中にあって再び孤立化へと至らせることになる。
 

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(3)最近のワールド・サッカーにおける日本人の国際的なものと日本的なものとの美しい結びつきは、教育基本法の産み出した新しい国民性である。日本はナショナリズムの強い国であり、それをさらに愛国的にするのは、日本を不幸へとUターンさせることになる。

  

2. 教職員はサーヴァント・リーダーシップをもたねばならない

(1)聖学院教職員はサーヴァント・リーダーシップをもたねばならない。サーヴァント・リーダーシップは、教育機関に働く者に期待される高次な精神であり、高度な能力である。

(2)教育改革は「隗より始めよ」の教訓に学び、サーヴァント・リーダーシップへの教育者自身の内的改革から始めるべきである。

3. 「賜物」を発見させることが聖学院教育である

(1)神は人の命の中に恵みの「賜物」(聖書のいう「タラント」あるいは「カリスマ」)を与えられた。それがその人の個性である。教育の使命はひとりびとりに与えられた賜物を発見させることである。それは遺伝的能力を引き出すという古い「エデュケーション」(才能の開発)とは違う、また受験教育とも違う。

(2)賜物を知ることは、賜物を与えた神を知ることと結びつく。そしてその賜物の与え主に応答する生き方を生み出す。神に応答する(respond)ことが責任的 (responsible)人間を造る。そこでその人は「使命」をもって生きるようになる。
 

(3)それはナンバー・ワン教育ではなくオンリー・ワン教育となる。個性を生かし個性を発揮させる教育である。個性とは、他者を必要とすることであり、共同体の中でその完成をもつことである。個性は交わりを要求する。それは交わりの教育となる。オンリー・ワン・フォー・アザーズ、それが聖学院の教育目標となる。

 

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 聖学院はこの「日本の問題」としての「人間の問題」と教育的に取り組まねばならないのであります。教育基本法の改訂を企てた人々は、今日の日本における「人間の問題」を逆向きに捉えて、「日本の問題」の解決を不可能にします。真の教育課題を知らない政治家中曾根氏とその一派は日本を不幸な方向に導きます。わたしたちの先達内村鑑三は『基督信徒のなぐさめ』の中で、「義務として愛国心を呼称する国民は愛国心を失いつつある国民なり」と教えたことをわたしたちは覚えています。今、ふたたび「愛国心」をもって教育を歪める勢力が台頭しつつあるなかで、聖学院は過去百年の経験にかんがみ、教育が国家のあやまった指導のもとに歪められることのないように、自発的に過去三カ年の計画をもって聖学院教育会議を催し、教育改革を企てるのであります。日本は、世界の平和と人類の福祉への奉仕において尊敬される国になる、そのことによって国民に誇りと愛を惹き起こすことができるのであります。この教育に介入してきた政治を排して、新しい日本のため、いまこそ聖学院教育が出動しなければならないのではないでしょうか。わたしたちはそれをもって日本の教育危機に立ち向かい、日本の幸福なる未来のため奉仕したいのであります。聖学院は、新しい日本のために、改革された教育をもって働く、それこそわれわれの愛国心でもあります。 (第3回聖学院教育会議講演)

以 上

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