「待降節を迎えて」

2014/12/01   先生のことば

keyaki_441 11月30日の日曜日から始まる今年の待降節(降臨節)。「アドヴェント」とも呼び、ラテン語で「到来」を意味するadventusという言葉からきており、イエス・キリストの誕生を待つクリスマス(Christ-mas:救い主の礼拝)までの4週間をいいます。11月30日(聖アンデレの日)に最も近い日曜日が、待降節第一主日となり、幼子イエスをひとりひとりの心の中に迎える準備をしながら、クリスマスの直前の日曜日(待降節第四主日)まで続きます。そして、この待降節の始まりが、教会にとっては一年の暦の始まりになるのです。ルーテル教会では、待降節の讃美歌が讃美歌集の1番から編集されています。降誕節(クリスマスシーズン)は、1月6日の公現日(イエスが公に現れた日:エピファニー)までで、お店などでは25日が過ぎるとすぐにお正月の飾り付けに切り替えるため、ツリーなどはしまわれてしまいますが、教会では6日が終わってからツリーを片付けることが多いようです。

 さて、この季節になると、私は「靴屋のマルチン」というお話を思い出します。ロシアの文豪トルストイの作品で、新約聖書の「マタイによる福音書25章40節」のイエス・キリストの言葉「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」が題材になっています。そしてこのお話は『愛のあるところに神あり』が本当の題で、愛によって動機付けられた行動の中に、神はいらっしゃるのです。? 靴屋のマルチンは妻や子供に先立たれ、そんな辛い出来事の中で、生きる希望も失いかけてしまいます。周りの人との関わりもだんだん疎ましく感じられ、ただ惰性で続ける仕事に支えられて毎日を送っています。ある日、教会の神父さんが傷んだ革の聖書を修理してほしいと、聖書を置いていきます。マルチンは今までの辛い経験から神への不満をもっていましたが、それでも、神父さんが置いていった聖書をちらちらと読みはじめます。

 そんなある日の夜、夢の中に現れたキリストがマルチンにこう言います。「マルチン、明日、おまえのところに行くから、窓の外をよく見てごらん。」

 次の日、マルチンは仕事をしながら窓の外の様子に気をとめます。外には寒そうに雪かきをしているおじいさんがいます。マルチンはそのおじいさんを家に迎え入れてお茶をご馳走します。それから、今度は赤ちゃんを抱えた貧しいお母さんに目がとまります。マルチンは出て行って、その親子を家に迎え、ショールをあげました。まだかまだかと、キリストがおいでになるのを待っていると、おばあさんの籠から一人の少年がリンゴを奪っていくのが見えました。マルチンは少年のためにとりなしをして、いっしょに謝りました。そうして、一日が終りましたが、とうとうマルチンが期待していたキリストは現れませんでした。「やっぱり、あれは夢だったのか」とがっかりしているマルチンに、キリストが現れて言いました。「マルチン、今日お前のところに行ったのがわかったか」そう言い終わると、キリストの姿は雪かきの老人や貧しい親子やリンゴを盗んだ少年の姿に次々と変わりました。

 今、待降節、イエスキリストがお生まれになる事を待ち望む季節を迎えています。私たちに最高のプレゼントとして、イエスさまをこの世に贈ってくださるクリスマス。私たちを救うために、馬小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされるような貧しい様子で、私たちのこの世に降りてきてくださったイエスさま。

 聖学院小学校が、PTAクリスマス礼拝、クリスマスページェント、そして教会ではクリスマス礼拝にキャンドルサーヴィス(イヴ礼拝)が予定されています。ぜひ、お出かけくださり、ともにイエス・キリストのご降誕をお祝いいたしましょう。

 『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(『新改訳聖書』)

宗教部 本田 晃

学校だより「けやき」第441号より

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