聞く力

2014/07/18   先生のことば

keyaki_438 2012年に出版された阿川佐和子さんの著書「聞く力」がミリオンセラーになったとのニュースはまだ記憶に新しいことです。この本は「人の話を聞く」「人に話を聞く」ことのテクニックが主な内容ですから、私が今から述べようする内容とは少しちがいます。けれども「聞く力」という題名の本がミリオンセラーになるほど売れた背景には大人でも「聞く力」の弱さを実感していたり、問題に感じていたりする人がそれだけ多いということだと思うのです。

 子どもたちの聞く力が低下しているのではないかということは随分前から言われていることです。では聞く力がないということから想像する子どもたちの姿とはどのようなものでしょうか。授業中に私語が多いとか、ぼんやりしているとか、別の事をしているといった姿でしょうか。もちろん、そのような形であらわれることもあります。けれども途中までは聞くことができていたのに突然聞くことができなくなると言ったケースもあります。例えば、教師が授業で話題にした事について突然隣の子と話を始め、こちらが静止しないとその話が続くといったケースです。また、しっかり教師の方を見ていて、一見聞いているように見えるが実際には聞いていないといったケースも多いのです。授業中、私語をしているわけでも、別なことをしているわけでも、ぼんやりしているわけでもないのに、質問すると答えられないといったことを私自身何度も見ています。これは答えがわからないわけではありません。質問の前に、「○○君」と呼びかければ正しく答えることができます。けれども、質問してから指名すると答えられないといったことが起こるのです。すなわち、語り手が自分の方を見ているか、もしくは名前を呼んでくれなくては自分に語られていると認識できず、聞くことができないのです。

 ではなぜそのようなことが起こるのでしょうか。それは語り手を人格として認識することができていないからだと私は考えています。本来語り手と聞き手の関係は一対一で話すときはもちろん、授業のように一対大勢といったときも人格的な関係だったはずです。声が聞こえる方には必ず話し手がいました。けれども今世の中には人格を持たない言葉が溢れています。たとえばテレビの中の人間はテレビの前の人間がどんな格好をしていようと、おしゃべりをしていようとかまわずに話し続けます。またこちらの語りかけに答えてくれることもありません。そのような環境に浸っていると、いつのまにか授業などで聞く言葉もテレビのように人格を持たない言葉と同じように感じるようになってしまうのではないかと思うのです。だとするならば、このことを解決する方法も見えてきます。それは一対一や少人数で人格的な言葉のやり取りをする機会を意図的にたくさん持ち、まず一対一や少人数での会話でしっかり聞くことができる力をつけることです。なぜなら、一対大勢で聞く力は一対一や少人数での会話で話を聞く力の上に育つものだからです。そのためには家庭の役割も重要です。親子や家族の中では言わなくてもわかるといったこともあります。けれども、あえて言葉にするといった働きかけが大切です。一般的に家庭内の会話は子どもが大きくなるに従って減少する傾向にあります。だとするならば、聞く力をつけるためには小学生までの言語環境が特に大切だと思います。その意味からもこの夏休みにも家庭で充実した会話が交わされることを願っています。

教頭 佐藤 慎

学校だより「けやき」第438号より

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