刈り入れの喜びへ

2014/05/15   先生のことば

keyaki_435涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
詩編126編5~6節(新共同訳)

 新校舎の建築も順調に進み、現在、地下のチャペル部分の天井が二階部分の床として迫り上がって姿を現し始めました。仮校舎での生活も丁度一年を過ぎようとしております。

 そんな中、二年生が育ててくれた鉢植えと花壇いっぱいのチューリップが咲き揃い、今年もきらきらした笑顔の一年生65名をお迎えしました。

 クローソンホールをお借りしての入学式は、会場の広さに鑑みて三年生だけの参加でしたが、これも例年通り、お祝いの歌『一年生くん、おとうとくん』を立派に歌って新入生をお迎えできました。それから既に3週間が経ち、早くも全学年がお弁当のある毎日をスタートさせていますが、今度は運動会に向けての練習に取り掛かっているという学校生活が始まっています。

 さて、冒頭に掲げました聖句をご記憶でしょうか。昨年4月のイースター礼拝での学院長からのメッセージの箇所です。その時のお話の概略は、以下の通りです。 「この聖書にあるイスラエルの人々は、ある時、仮の住まいへ移動しなければなりませんでした。でも、聖書はそれを『種をまきに出発するのです』と教えます。もしかしたら少し不便なこともあるかもしれない仮の住まいだとしても、種をまくように、神様の教えをその周りの人々に伝えられるような行動を通して、また、仲間同士でも、神様の教えを実行し合い、その仮の住まいの生活を多くの泉ある所として、素晴らしい生活に変えていくのです。そうして、ある一定の時期を経て、神様は皆さんを元の場所へ必ず帰してくださいます。そしてその時には『喜びの歌とともに帰ってくる』と書かれているのです。一日一日を神様から与えられた大切な宝の日々として、種をまきつつ、不自由なことがあったとしても、たくさんの喜びの体験に変えて、喜びの歌とともに帰ってくるのです。これが私たちみんなに与えられたイースター(復活祭)の恵みの教えでもあるのです。」

 あれから一年、このメッセージを心に留めつつ、近隣の方々からも「学校がない日は寂しい気がするくらいです。」とのお声を頂く程のご理解を得ることができ、仮校舎での喜びの体験を数えながら日々を過ごしてまいりました。

 そして、仮校舎での二年目を迎える4月の教職員研修会で、学校長は、仮校舎での最初の年は「何も無い」所からのスタートであったとしても、目の前の現実から目を逸らさず、旧校舎に「あったものを保持する努力」をしてきた年であった。二年目の今年度は、前のものを見つめて新校舎の「何も無い」所に「備えたいものを創っていく努力」をする年にしようと語られました。そのお言葉を受けて、新校舎という器に新しい教育活動を注ぎ入れるために、今、皆で心して準備を始めております。

 そしてさらに嬉しいことに、先日のPTA総会では、PTA会長が「この学校は、子どもたちが自分自身と自らの内にあるものに気づき、相手を想う心を育ててくださる学校です。その教育活動にご助力するために今年度も活動してまいります。」とご挨拶くださいました。教職員一同、感謝に堪えません。

仮校舎での二年目の種まきの時を、苦楽を共にしてくださる保護者の皆様と神様から託された子ども達と一緒に、刈り入れの喜びを共にする日まで、力を尽くしてまいりたいと存じます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

校長補佐 阿久戸 多喜子

学校だより「けやき」第435号より

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