便利さと引き替えに大切なものを失わないために

2015/10/30   先生のことば

 夏休み前のある日のことです。私は園長室にある書架の整理をしていました。その時、目にとまったのは講談社の日本語大辞典でした。そういえば、最近辞典や辞書で調べることがほとんどなくなっていることに気づきました。私はスマートフォンを利用しています。そして園長室にはパソコンがあります。調べたいことがあれば、スマートフォンやパソコンで簡単に調べることができるのです。たしかに、これはとても便利です。けれども以前だったら疑問がわいてから調べるまでの間にあった「考える」というプロセスを経ることは明らかに減っています。私たち大人は子どもの頃からこのような情報機器を日常的に使用する環境にはいませんでした。「疑問が生じたときにはまず考える」という環境にいました。ですから大人になった今「疑問が生じたときに考える」ことが減ったにしても、それがすぐに大きな問題にはならないかもしれません。けれどもこれを子どもたちのこととしてとらえたときにはどうでしょうか。

 最近子どもたちの世界にもipadなどのタブレット型端末はどんどん普及しています。近い将来には小学校で導入しているのは当たり前になるでしょう。現時点でも幼稚園で導入しているところも増えていると言いますから、情報機器使用の低年齢化はますます進むことが予想されます。確かに情報機器を自由に扱うことができるといったことはこれからの社会で生きていくためには必要なことかもしれません。しかし、前述した「考える」というプロセスは子どもにとってはとても大切です。これは思考力のみならず想像力を育てるものだからです。

 実は情報機器使用の低年齢化はもう一つの大切なプロセスを失わせる危険があると感じています。それは「お父さんやお母さんに尋ねる」というプロセスです。元々、幼い子どもは疑問を持つと、まずその疑問を親にぶつけるというのが普通だったと思います。「お父さんやお母さんに尋ねる」というプロセスは単に疑問の答えを得るためのものではありません。親子の会話の機会であり、子どもが生きた言葉に触れる機会です。そして子どもはその会話によってさらに考えを深めることもあるでしょう。しかし、これからの時代、子どもは親に尋ねることなく、目の前にある情報機器で疑問の答えを得るようになるかもしれません。

 情報機器使用の低年齢化はもう止めることはできないでしょう。また簡単に止めるべきだとも言えません。そうだとすれば、私たち大人は意識して子どもたちが考えるように仕向けるといったことが必要になるのではないでしょうか。これはそう難しいことではないと思います。なぜなら私たちの回りには子どもと共に考える材料はたくさんあるからです。それは私たち大人には答えが分かっていることでもよいのです。大切なのは意識して子どもたちと共に考える時を持つことです。これがこれからを生きる子どもたちの思考力、想像力の低下を招かないことにつながると確信します。

園長 佐藤 慎

月別アーカイブ

sub_blogside
ページのトップへ戻る