知識と知恵

2015/02/10   先生のことば

kinda_kotoba003 イスラエルの第三代の王であるソロモンは、神様から「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」と言われたとき、「善と悪を判断することができること」を求めました。神様はその返答を喜ばれ、ソロモンに「知恵に満ちた賢明な心」をお与えになりました。(列王紀上3章)

 旧約聖書の詩編のあとに「箴言」という書があります。箴言とは「戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉、格言」のことです。聖書の「箴言」の冒頭 には、「ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言」とあり、この箴言がソロモンの言葉、もしくは書いたものであることがわかります。その箴言の1章7節 に「主を畏れることは知恵のはじめ。」とあり、また8章13節には「主を畏れることは悪を憎むこと。」とあります。すなわち神様から「あとにも先にもなら ぶ者がない」ほどの知恵を与えられたソロモンが、一番先に知るべき事は「神を畏れること、すなわち悪を憎むこと」だと言っているのです。

 実は今私たちが使っている新共同訳聖書で「知恵」となっているところが、以前の訳である口語訳聖書では「知識」となっていました。同じように使わ れることの多いこの2つの言葉ですが、意味には違いがあります。広辞苑には「知識」とは「ある事項について知っていること。また、その内容」とあり、「知 恵」とは「ものごとの理を悟り、適切に処理する能力」とあります。すなわち知恵とは知識を適切に処理する能力だとも言えるわけです。

 ところで子どもたちは日々新しい知識を身につけており、そのスピードに驚かされることも度々です。まして小学校で始まり中学校、高校、大学と続い ていく学校生活の中では知識を身につけることが中心的な目的になっていきますので、知識の量は飛躍的に増えていきます。しかし、どんなに豊かな知識を身に つけていても、それらが悪を行うために用いられたのでは何にもなりません。知識は知恵を伴ってこそ生きるのです。ソロモンが言った「主を畏れることは知恵 のはじめである」ということはこのことを言っているのではないでしょうか。

 私は幼稚園や学校、特に低年齢の子どもたちを預かる幼稚園と小学校が単に知識を与える場ではあってはならないと思っています。もし、知識を与える だけでよいのなら、さまざまなメディアがある現代においてはもっと効率的な方法はたくさんあるでしょう。けれども知識を正しく用いる能力、すなわち知恵は 他者との関わりの中で育つものです。そして知恵の前提にあるのは「人を思いやる心、愛する心」だと思うのです。ここに聖学院幼稚園が「心を育てる」ことを 第一の目標に掲げる理由があります。

 年度の終わりが近づいています。どのクラスも参観日の発表の準備をしています。この準備もそして当日の発表も子どもたちの心が大きく成長する時です。保護者の皆様も「心の成長」という観点でお子様を見守っていただければと思います。

園長 佐藤 慎

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