この人に聞く ニューリーダー2004年11月号 (page1)
知性の「ゲルマン捕囚」を脱し「宇魂和才」を
日本の対米政策と大学教育には何が必要か
『ニューリーダー』 2004年11月号掲載
(2004年10月26日発行)
(聞き手:ジャーナリスト 秋場 良宣)

newleader 2004 november聖学院大学大学院長
(学校法人聖学院 理事長・院長)
 大木英夫

日米間に横たわる不可視のギャップ
 
 − アメリカ大統領選挙も終盤戦を迎えて、わが国の新聞やテレビは連日、報道に力を入れています。冷戦崩壊以降、ライバルなき世界唯一の強大国になったアメリカの動向に 関心が集まるのは理解できますが、膨大な量の米国報道にもかかわらず、日本としてどれほど米国ならびに米国人の言動について本当に理解できているのか疑問です。
 ビジネスの世界でも、バブルで崩壊した企業統治力を高めるためには、米国型の企業経営法をグローバルスタンダードだとして「日本にも導入すべし」といった議論が一時期メ ディアにあふれました。しかし、エンロンやワールドコムなどの相次ぐ企業不祥事で、米国型の企業統治手法の問題が露呈し、米国をどれほど理解した上での報道であり議論だっ たのかと疑問が浮上しました。イラク戦争で米国と共同歩調をとる英国と仏独が対立するなど、一様ではないヨーロッパ諸国についても本当に理解できているのかどうか疑問です。
 そこで、欧米諸国の文化の根源であるキリスト教文化をベースに欧米文化の研究を進められ、組織神学や社会倫理学専攻のお立場から、アメリカやヨーロッパをどう理解すべき か、ご意見をお聞かせ願います。

 大木 聖学院大学の背景はいわゆる「ミッション・スクール」でアメリカとの関係では120年の歴史をもっており、大学や大学院はまだ新しいのですが、いわゆるキリスト教 的西欧世界とは深いつながりをもっています。そういう観点から日々の新聞報道などを読むと、おっしゃる通りだと思うことが多いですね。とくに、アメリカの文化や社会のもつキリ スト教的背景の理解ができていないのをしばしば感じます。文化の基盤にある深いギャップですね。
 前日銀総裁の速水優さんは任期を全うされたあと、聖学院大学大学院に来ていただいていますが、聖学院大学総合研究所主宰のグローバリゼーションの研究会で、ハンテントン 教授(『文明の衝突』) の近著『分断されるアメリカ』に引用された「国への誇りと神の重要性」との関係についての統計に触れて、「神の重要性」ということでアメリカと日本と が対極的に違う、アメリカは最上位、日本や中国は最下位にある、また最近顕著なキリスト教回帰現象があることなどを話されました。
 アメリカは未開の地ではありません。最高度に発達した文明国です。しかも宗教的、キリスト教的だ、そこにアメリカと日本との目に見えないギャップがある。それがわからな いでアメリカを本当に理解することはできない、浅薄な報道になると思いますね。

 − なぜ、アメリカ研究が積極的にされてこなかったのでしょうか。

 大木 それは明治以後の日本近代化の推進の仕方に済む問題ですね。アメリカのデモクラシーをモデルにしては、錦の御旗を担いだ戊辰戦争勝ち組の体制づくりには合わない。 合うのはドイツ・プロイセンでした。明治憲法も帝国大学もドイツの模倣となった、それは1945年の破滅に至ったわけです。

世界的普遍的魂と 日本の職人的な才
 
 − 作家の司馬遼太郎さんも、明治日本のドイツびいき、ドイツヘの傾斜について、『この国のかたち』の中で、ヨーロッパの後進国だったドイツが封建体制を終えて中央集権 体制のドイツ帝国となつた姿に、明治維新を起こした日本が強い感情移入を持ったと記しています。

 大木 まったくそのとおりなんです。しかし、重要な点で違いがありました。東京帝国大学は、ベルリン大学をモデルにしました。当時ベルリン大学は新しい大学でした。ある 理想をもって始まりました。とくに注目すべきことは、神学部の強化でした。それを実際に経験したのは森鴎外でした。その頃の神学部の代表的教授はアドルフ・フォン・ハルナックでした。鴎外はハルナックの講義を聞くのです。その様子が、彼の短編小説『かのように』 に出てきます。その中で、「ドイツの強みは神学に基づいている」と言うのです。重要な違いは、その神学部を切除し、その代わりにヨーロッパの伝統的大学にはない工学部を入れたことです。
 こうして、日本の大学は、外来文化との肯定的であれ否定的であれ、古い「神学」 の伝統との関係を失いました。中身もわからないで「神学論争」という言葉が国会で飛び交う、イギリス議会やアメリカ議会でそんな言葉が使われるでしょうか。
 しかし、今度の大統領選挙の討論の中には神学的な議論があるということです。マネーロンダリングではないが、文化ロンダリングをもって西欧文化をキリスト教との関わりか ら洗い落とす、それが明治政府の和魂洋才政策でした。別の魂をもつテロリストが近代武器を使うのと同じ形ですね。それは敗戦で破滅したのです。
 私は「和魂洋才」 ではなく、「宇魂和才」という新語を作りました。「宇魂」 の「宇」は「宇宙」 の「宇」です。世界的普遍的「魂」 です。それと日本の職人的な「和才」の結合です。最近のイチローの偉業を見て、何かそこに日本の良さである「職人的なもの」を感じました。アメリカで、野球のルールの中で、記録を更新する。偉大な仕事をする、あれがいい。普遍的なものを実現できるような和才、「宇魂和才」をもってグローバリゼーションを導き、世界平和へと先駆するような新しい日本であったほうがよいと思うのです。
 ベルリン大学のハルナックの同僚だったトレルチは、100年前のヨーロッパの文化総合を考えましたが、「宇魂和才」はグローバリゼーションの動向を世界的文化総合へといだ きあげるような新しいリーダーシップです。そのためには、森鴎外が感じたような知性の神学的訓練が必要でしょう。
 あのバブル以前の経済発展をまるで「日本人」 の優秀さとか「和魂」の勝利とか言う政治家がいましたが、それは誤りです。技術は移転可能なもので、韓国も中国もインドもなし遂げつつある、日本は追い抜かれるかも知れない、そういう予感に「和魂」が脅かされているのです。

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