そのお陰で日本経済は素晴らしい発展を遂げましたが、1970年代に入って、日本は完全に先進諸国に追いついて経済大国になりました。同時に追いつこうという「モデル」がなくなりました。自分の頭で新しいことを考え、自分のニーズで新しいことを起こしていかなくてはいけないレベルまで至ったわけです。しかし考える人間、個性ある人間を育ててきていないので、先に進まなくなってしまいました。
それでも企業が、求める人材を切り替えて「今までに例のない社会を進むには、個性を持って考える人間が欲しい」とはっきりと学校に対して提示すれば、日本は変わったと思うのです。しかし企業自体が30年間のやり方の中で固まって方向転換が出来なくなってしまっていました。それまでの惰性で学歴だけで採用し、求める才能も今までと変わりませんでした。企業が時代に遅れだしました。企業が変わらないから、学校も相変わらず偏差値教育をやっており、日本の発展にも役立つ教育をしてきませんでした。
教えられる子どもたちが最大の被害者であると思います。高度成長時代は「おまえは嫌いな科目も勉強するという拷問を受け、それに耐えなくてはいけない。耐えたらおまえは偏差値の高い大学を出て、いいところへ就職できて幸せになる」だったわけです。だから「よし、どんなにつらくても勉強して、いいところに就職しよう」となりました。それぞれそれなりに頑張って、少しでもいいところへ入って、少しでも幸せになろうと頑張ったわけです。漫画でいえば「巨人の星」の飛雄馬、「アタックNo.1」などを見て育った時代です。あれみんな「頑張れー」という漫画です。鬼の大松監督や星一徹のようなおやじが出てきてめちゃくちゃしごかれるぞ、つらいぞ、だけど、このつらさに耐えて頑張ったヤツが最後の栄冠を得て幸せになるんだ、というメッセージの漫画ばかりです。だから「世の中こんなもんだ」「勉強するしかないや」「頑張ったら幸せになれるんだ」とみんな納得して勉強しました。
ところが、そういう漫画は全部昭和50年代で終わりです。「スポーツ根性漫画」というのは昭和50年以降は全く出て来ません。その後は「ひょうきん漫画」か「自己実現漫画」です。要するに、頑張ったら幸せになれるということが、子どもたちには分からなくなりました。周りには物がいっぱいあり、親のすねもぐっと太く豊かになりました。さらに子どもの数も減って一人っ子、二人っ子になりました。そのなかで、ひもじさ、物のない不幸を分からせようがないです。 |

▲聖学院小学校「ハンドベルの演奏」
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■子どものよいところを見つけること
大切なことはそれぞれの子どもたちのよいところを見つけることです。成熟時代になったらエリート教育では国は進みません。だれか特別な人が引っ張っていくというやり方では、政治も経済も社会も進まないのです。みんながそれぞれに持っている能力、例えば知的障害の子は、素直で優しく人を信じるとても美しい心を持っています。どんな状態の子でも、必ず素晴らしい能力を持っています。勉強が出来て、経済を作るだけではなく、社会の中で助け合い、いろんな仕組みを作る、いろんな場面で能力が生かされて、どこででもだれでもが幸せになるという社会を目指さなくてはいけないのです。昔は就職が絶対でしたが、今は子どもの数が120万人の時代ですから、就職の心配をする必要は全くないです。いま就職難時代で、就職できずにいる子どもたちもいますが、それなりに自分を生かして頑張っています。もう少し経済発展していけば、子どもたちの生きる場はいっぱいあります。今の子どもたちが社会に出る頃には、それぞれが自分を生かせる場を選べば、いくらでも仕事をするところはあるでしょう。昔のように駄目な人を落とす社会ではなく、みんなを生かす社会に必ず変わっていくはずです。だから、就職を考えても「資格を取らなくてはいけない」とか「どこかへ入れなくてはいけない」という考え方は間違いなのです。
今の50歳代前半の団塊の世代は、1年間に250万人から270万人生まれていたわけです。その団塊の世代がしっかり仕事をしています。今はその半分の120万人しか生まれていません。就職戦線も最大限120万人しかいないわけです。団塊の世代250万人を吸収して発展してきた日本経済ですが、人がとても足りなくなってくる時代がくることははっきりしてます。だから、いろんな場面でそれぞれに生かす人が出てくれば、就職を望む若い人が就職できないということは考えられません。人口構造からしても、そういう社会になってくることは間違いありません。だから、それぞれの能力を思いっきり生かしてあげることが大切です。 |