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学校法人聖学院 理事長・院長 大木英夫


「大木英夫 理事長」

学校法人聖学院は百周年を迎えました。このときこの地に大学礼拝堂が完成、本日ここに大学チャペル献堂式を挙げることを許され、かくも多くの方々のご臨席をたまわり、また只今は埼玉県上田知事、青山学院深町正信院長、上尾市長、日本基督教団関東教区副議長村田元牧師、各位からのお祝辞をいただき、心から感謝申し上げます。

この礼拝堂の立つ土地は、二年前まで葡萄畑でした。建築は、空中楼閣ではなく、土地の上の仕事です。ここから鴨川へと広がる土地を聖学院に譲渡して下さった近隣の方々、そしてその間に立って下さった上尾市の方々のご協力なしにこの事業は成り立ちませんでした。そのことを思い感謝いたします。


「葡萄の木のプレート」

クレーラ元短大学長が式辞で述べられたように、長い年月を経て、この日を見ることのできず、今日の喜びをわたしたちに残して下さった多くの方々を思い起こします。わたしたちはそのことを忘れないように、この建物の一隅に女子聖学院短期大学記念室を設けました。その長い年月の八年前からは設計を担当して下さった当時東大工学部の建築学の教授であられた香山壽夫先生をお迎えしました。先生は七年余もかけ、精魂を傾けて、設計を完成されました。そして設計が出来上がると、工事は戸田建設株式会社が引き受けて下さり、一気呵成の勢いで13ヶ月でこの大仕事を完成し、この日を無事迎えることを可能にしてくださいました。長大な動きがここに到達しました。この礼拝堂に上がる階段の正面に葡萄の木を象徴化した「プレート」をはめ込んでくださいました。そこに先生の思いが込められていると思います。誠にありがとうございました。

香山先生は、放送大学の講義の放送の中で聖学院大学礼拝堂を取り上げ、その構想の発展経過を説明されました。最後に先生の恩師ルイス・カーンのSilence to Light「光へ向かう沈黙」という言葉を引用して、その創作の思いを吐露されました。「沈黙」はカオス(混沌)、建築家は、そこから光へ、形へと向かう、しかしその道を見通すことは困難である、どこへ行くか分からないような道行き、しかしまったく導きがないのではない、何か隠れた秩序があって、その秩序への倫理的信念が光へと導く、直線的ではない、らせん状に上って行く、そのような感銘深いお話でした。謙虚にして勇気に富み、正しくそしてこの上もなく美しく、わたしは工学も美学も越えて宗教的求道の精神を感じたのです。そしてここにその形を見る、形の中にいる、これは普通の大学チャペルではない、まさに大聖堂と呼ぶに相応しいのです。感動しました。

感動は感じて動くことです。ここに立つと百周年の聖学院教育は上にあるものを感じ、前に向かって動き出すことを促されます。「大聖堂」は英語で言えば「エディフィス」であり、動詞の「エディファイ」は建築することと教育することの二つの意味をもっています。聖学院教育は新しい人間を建築するような教育、エディファイする、エディフィケイションであり、単なるギリシャ的なエデュケイション(内にあるものを引き出すこと)ではないのです。使徒パウロは、みずからをギリシャ語で「アルキテクトーン」(建築家)と呼びました。建築とキリスト教教育とは同質なのであります。混沌の噴出する現代世界の中での教育の課題は、自然を素材とした新しい人間、新しい社会の建築であります。そのときそれを導く秩序がなければならない、パウロは、信仰と希望と愛という三つの言葉を教えました。ニーバーは信仰と希望と愛という導きの意味をこう説き明かしました。

およそ世に価値あるものにして、人生の時間の中でそれを完成へともたらすことはできない。それゆえに、ひとは「希望」によって救われる。
およそ真・善・美のどれひとつとして、歴史の現実の内部に目に見える仕方で実現することはできない。それゆえに、ひとは「信仰」によって救われねばならない。
およそ如何に有能な人間であれ、そのなすべきことをただ独りで達成することはできない。それゆえに、ひとは「愛」によって救われるのである。

現代の教育も政治も未来幻想を語る、しかし、聖学院教育は、信仰と希望と愛という隠れた秩序に導かれ、混沌から形へと営々現実と取り組むエディフィケイションでなければならないのであります。この三つを聖学院教育の中に取り入れようとしたのは、滝野川教会にも女子聖学院にも男子の聖学院にも牧師として校長として深い関わりをもたれた平井庸吉先生でした。その聖学院教育の伝統が、奇しくも香山先生という偉大な設計家によってここに、聖学院の「聖」にふさわしい「大聖堂」として大きく形を現したのであります。ここに立てば聖学院教育百年の伝統はよみがえり、ここに立てば未来は現代の混沌から越え出て、人間の建築、また共同体の建築へと励まされることでしょう。香山先生をはじめこの建設に携わった方々に、それゆえ聖学院の心からなる感謝を表したいのであります。


「信望愛」の額は、式典において、女子聖学院小倉校長より、阿久戸学長、緑聖教会濱田牧師に手渡されました

平井庸吉先生の書「信望愛」の額は滝野川教会に掲げられていたものですが、それを複写したものを女子聖学院、男子の聖学院、滝野川教会から、この献堂式にあたり、大学と緑聖教会とに贈り、それを女子聖学院短期大学記念室に飾って、法人全体百年の伝統を未来へつなぐ絆、未来への共同の使命の証しとしていただきたいと思います。カーンは、「建築の作品とは献げ物である」と言いました。聖学院はこの大聖堂を神に献げます、そして聖学院教育の業も神への献げ物でありたい、聖学院のすべてを神に献げたいと思います。ありがとうございました。

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