「速水優元日銀総裁を神のみもとに送る」 大木英夫 学校法人聖学院理事長の告別のことば(2009年5月18日 阿佐ヶ谷教会)
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■「速水優元日銀総裁を神のみもとに送る」
 大木英夫 学校法人聖学院理事長の告別のことば
 (2009年5月18日 阿佐ヶ谷教会にて)
 速水さんは日銀総裁であった頃、日経新聞2002年1月4日の『交遊抄』というコラムにわたしを「友人」として短文を書き、わたしの恩師であるラインホールド・ニーバーの祈りの言葉(文末参照)を引用されました。この祈りがわたしたちの交わりの絆でした。
速水優先生(右)と親しく語りあう大木理事長
速水優先生(右)と親しく語りあう大木理事長
 
 しかし、速水家と聖学院とはもっと古い絆で結ばれていたことを、わたしは速水さんから知らされたのです。その関係を知らせようとして速水さんは一冊の本を下さいました。それがこの『矢車草』という本です。速水家の皆さんの編集です。まことに感動的な本です。第一部は、戦病死されたご長兄速水徹氏の残された文集ですが、第二部は徹氏の東大時代の恩師神川彦松、辻清明教授らの文章も入って、日本近代史を別の視点から見た記念すべき文書であるとわたしは思いました。その終りに年表があって、この徹氏は、1920(大正9)年に当時の東京市滝野川区中里の聖学院幼稚園に入園と記されております。「中川咲子先生」という教師の名が出てまいります。そこから速水家と聖学院のつながりが始まったことを、速水さんはわたしに知らせてくださったのであります。この交わりからキリスト教が速水家に入り、しかも、お母上のご実家は文化勲章受章者である東大教授丹羽安次郎先生の家ですが、そのご実家にまでもキリスト教が広まり、当時の速水家は大正リベラリズムの大空を仰いで開いた大輪の花のようなご家族でした。しかし戦争がきました。お母上は、「ひきつづいた不幸の一つ一つがどれも直接戦争につながっている」と悲しみをこの本のあとがきに記しておられます。「あとがき」にこのお母上は、「この世にあなた(ご長男)を与えられてから二十八年は、私にとって『よい夢を見せて貰ったひと時』であった」と書いておられるのです。涙なしには読めない文章でありました。
 速水優さんは、そういうクリスチャン・ホームのご出身でした。子どもの時からキリスト教の中に育てられました。あるとき速水さんは、大阪弁で――そのころ速水家は関西に転勤されておられましたが――、「主われを愛す」という、こども讃美歌を歌ってくれました。「エッサン・ワテヲスイテハル・エッサン・ツヨウオマスカイ」(あとは忘れましたが)、まさにこれが速水家のキリスト教なのだと思いました。

 速水さんの日銀総裁任期満了が近くなったとき、わたしは、一度は総裁室の速水さんを拝見したいと思って、お訪ねしました。そして、大きな総裁室の中の小さな別室に案内されました。そこを速水先生は祈りの密室として用いておられたことを知ったのです。そこには速水さん愛誦の聖句の掛け軸がありました。生涯、キリスト者であることを隠さない、信仰的誠実さを貫徹されたのです。そのとき速水さんから『新日銀法』の小冊子を頂きました。そこには「自主性」と「透明性」を強調する規定がありました。速水さんは、全国民の期待を体現してこの新日銀法のもとでの最初の総裁であったのです。それは日本の経済界の大変な時代でした。わが日銀総裁は動じませんでした。速水さんは、総裁になる前に『円が尊敬される日』という書を書き出版されました。総裁の任期を終わったあと、『強い円、強い経済』を出版されました。「海図なき航海」と言われたことがありましたが、速水さんの金融行政は今日敬意をもって思い出されております。
 実はそのとき、わたしは、総裁の任期が終わったら、聖学院大学の大学院にきていただけないかという話を持ち出したのであります。断られるかと思っておりましたが、なんと、その場でそれを受けいれて下さったのです。「ユニヴァーシティ・プロフェッサー」というのは、ティリッヒがハーバードに迎えられたとき受けた称号です。名誉理事長としてもご指導をお願いいたしました。