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先生のことば

クリスマスの奇跡

緑のオリーブ No.08

 クリスマスの到来を待ち望む季節(アドベント)を迎えました。キリスト教にとって日本で最も受け入れられているのがこのクリスマスかも知れません。クリスマスにはケーキ、サンタクロース、プレゼントなどが定番となっていますが、いずれもイエス・キリストの誕生を祝うという観点から全く関係がないとは言えないものの企業の商戦にうまく乗らされてしまっているという感も否めません。

 ところで聖書には様々な奇跡物語が出てきますが、新約聖書においてその最たるものはクリスマスの御子イエス誕生とイースターのキリスト復活ではないかと思います。私自身は、聖書を読み始めた頃にキリスト教の道徳的な教えには共感できましたが、これら奇跡物語だけはどうしても受け入れることができず、飛ばし読みをしていた記憶があります。

 奇跡については、ただ読んでも聞いても信じることはできないでしょうし、もし実際に自分の目で奇跡を見たとしても「どうせトリックでしょ」としか思えないのかも知れません。聖書にも「奇跡を見たら信じる」とキリストに迫る人々が何人も登場しますが、そのような人々にはキリストは何も見せませんでした。それは、そのような人は「見ても決して信じない」からです。しかしよく考えてみるとクリスマスの出来事は奇跡に満ちています。キリスト誕生の預言、処女懐胎、神の子の誕生、星に導かれた東方の博士の到来など…。奇跡とは「通常起こりえないこと(科学的に説明がつかないこと)が起こること」と言い換えられとするなら、奇跡を「信じる」ということは、事実かどうかわからないが、とにかくどちらか一方であると判断すること、とも言えます。事実がわかってしまえば、それはもはや「信じるか信じないか」ではなく「知っているかまだ知らないか」なのですから。

 クリスマスに起こった処女降誕を、歴史的史実として検証することは無意味です。また、信じる信じないは各自の意志の問題であり、わかるわからないという次元の問題とも異なります。しかし私たち人間は、たとえわからなくても信じることはできます。相手が信じるに足る行動を取ることがわかっているから信じるのではありません。親は子どもを無条件で信じ愛します。子どもからの見返りを期待しているわけではありません。しかし、わからなくても信じ愛することができるのです。クリスマスに起こった奇跡は、神さまが私たち人間を愛して下さった結果として起こった出来事であることを私たちも信じることができるのです。

園長  山川 秀人

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