先生のことば 「サインズ オブ ザ タイムズ」掲載 (2003年1月号)

聖学院みどり幼稚園 先生のことば
 「サインズ オブ ザ タイムズ」掲載 (2003年1月号)

 
「大」という字が書けるには

聖学院みどり幼稚園 園長 鈴木健一

 「子ども達は子ども特有の方法で物事を知っていく」、これが近代の教育の世界で見出され、受け継がれてきた貴重な知恵の一つであります。
 しかし、大人が、そして教師さえも、このことを知るのは極めて困難です。誰もが子どもの時を過したにもかかわらず、通過してしまうと見えなくなってしまうのです。この文章を読んで下さる皆様を、そんな忘れられた宝物のような世界にご案内できたらと思います。

印象に残った授業

私がしばらく校長を務めた聖学院小学校で、大変印象に残った授業風景の一つです。
九月の授業が始まってすぐの頃、一年一組の前を通りかかると、国語の時間でした。教科書の『大きいかぶ』のところで、先生の声が聞こえてきます。
「皆さんは、ここで初めて漢字を習います。この『大きいかぶ』には、漢字が二つ出てきます。最初はこの字です。」
そう言って先生は、黒板に「大」の字を大きく書いて、振り返って言いました。
「このクラスで、一番背の低い人は誰ですか。」
「Yさん。」
と皆んなが声を上げます。
「ではYさん、前に出てきて下さい。そして、先生の机の上にのぼって、立って下さい。」
Yさんは、先生の手を借りてイスにのぼり、机の上に立って、皆んなの方を向きます。
「Yさん。足を開いて、両手を横にまっすぐに上げて下さい。

 さあ、皆んな、こうすると、小さいYさんが大きく見えますね。
じゃー今度は、Yさんと、この黒板の漢字を比べて見て下さい。よく似ているでしょう。それで、この漢字を「おおきい」の「おお」と読みます。」
 私は廊下でそこまで見ていて、小学校一年生の国語の授業の、すばらしい導入だと思いました。初めての漢字を、身体全体で感じるような授業です。Yさんだけでなく、クラスの全員が身体を乗り出すようにして、学んでいます。
 一人一人が身体全体で感じて心に焼き付けた「大」という字を、次の段階では、紙の上に手と指で書くことが出来るようになるでしょう。そして、しだいに目で見たり耳で聞くだけで、心の中に浮かぶようになります。そして最後には、何も見ず何も聞かなくても、「大」という字が心の中で、「大きい」という感情と理解をともなって、浮かび上がるようになります。四月から習い始めた「ひらがな」とは異なり、一つの字に意味がこめられているという漢字の特徴まで、子ども達は体験的に知ったことになるわけです。
 全ての漢字を、同じように教えるわけではありませんが、最初の一歩がこのように踏み出されると、後は大部楽になります。このようにして人は、先人の貴重な遺産である漢字という文字を、自分のものとして行きます。

感性が育っていない子どもたち

 さて、考えなければならないのは、授業の工夫だけではなく、その前の段階です。

「大きい」という字を学ぶ前に、子ども達には、「大きい」と感じられる心が育っていなければなりません。先の一年一組でも、子ども達の大部分ににそのような感性があったからこそ授業が成立したわけです。しかし、最近、大切な感性が育たないまま小学校に入学して来る子ども達が増えているのです。毎日の生活の中で、周囲の「物の世界」と身体全体を動かして取り組むことが、極端に少なくなっている結果とも言えましょう。いたる所が都会化され、マンション住まいの家庭が増加していることが大きな原因です。

乏しい人と人との交わりの中で

もう一つは、話し言葉の問題です。ひらがなや漢字は書き言葉ですが、書き言葉の前に話し言葉があります。「おおきい」とか「大きい」と書ける前に、「おおきい」と言う言葉が、自由に話せなければなりません。話し言葉は、話し相手があって初めて身につきます。この点、現代の子ども達は、大きなハンディを負っています。核家族の中で兄弟が少なく、そして家のまわりで一緒に遊ぶ仲間が少ないのです。愛や憎しみ、楽しさや悲しさを伴った人間味のある交わりこそが豊かな言葉を養う源ですが、これが乏しいのです。

以上のようなことを踏まえて、現代の教育の色々な問題を考えてみたいと思います。

 

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