2007年06月19日

防災教室・起震車体験

6月15日(金)聖学院小学校校庭に起震車「なまずⅢ号」がやってきました。
幼稚園では年中組と年長組、小学校では2年生が、教室から防災頭巾をかぶり、整列して校庭に避難してきました。
北区防災課の方が実際の地震被害の写真を見せて、地震の際の注意事項をお話して下さり、子ども達も真剣な表情で聞いていました。
お話の後4人一組で震度7の揺れを体験。「地震が起きたらすぐテーブルの下に隠れて、テーブルの足をしっかりつかむ」という指示を守って訓練ができました。


幼稚園年中組・年長組 真剣にお話を聞いて訓練に参加しました


小学校2年生 震度7の揺れにもあわてず、テーブルの下に隠れました

投稿者 admin : 13:51

2007年01月06日

聖学院小学校より新年のメッセージ

 聖学院小学校の児童の皆さん、保護者の皆様方、明けましておめでとうございます!新しい年が、神様に守られ、幸多き歩みになりますようお祈りしています!皆様から、沢山の年賀状を頂きありがとうございました。それぞれに、充実した冬休みを過ごされたご様子で、喜んでいます。本年も宜しくお願いいたします。
 さて、1月9日(火)から学校が始まります。皆さんに会えるのを、先生達は楽しみに待っています。元気な挨拶で、今年もスタートしましょう。

投稿者 admin : 14:17

2006年12月21日

小学校PTAクリスマス礼拝 心に受けた「クリスマスの恵み」


 12月12日(火)10時~12時 聖学院小学校講堂で、PTAクリスマス礼拝を持ちました。校内は、PTA宗教部の方々と6年生児童の手による、素敵なクリスマスの飾りがいっぱいでした。このプログラムのために、宗教部部長さん、副部長さんを中心に、何度も打ち合わせと、祈りの会をもってくださったこと、感謝しています。神様はその労に報いて、恵みに満ちた素晴らしい礼拝にしてくださいました。幼小保護者218名が、熱心にお話を伺い、恵みを心いっぱいいただいて家路につきました。
 
今年、奨励をしてくださったのは、聖学院大学学長であり、牧師でもあられます阿久戸光晴先生でした。かつて、ご自分が大阪で出会った小学校4年生の少女の例もあげ、とても分かりやすいお話をしてくださいました。ありがとうございました。(奨励の内容は「続きを読む」から読むことができます)
また、キャンドルを手に、入場時と特別讃美をしてくださったコールシャロンの皆様、天使の音色といわれる、ハンドベル演奏をしてくださったGクレフの方々に感謝申し上げます。

「やみ夜に響く新しい讃美の歌」

   イザヤ書11章1~9節
   ヨハネ福音書1章1~5節
   マタイ福音書2章1~12節
   ルカ福音書2章1~20節
   讃美歌II 87,118,114


1.現代日本社会をおおういじめ問題のやみ
 私が今日こうして教育・伝道のわざに導かれる前に、ある会社で勤めておりました。その勤務地の関係により、大阪のある教会で私は教会学校の教師のご奉仕をしておりましたが、ひとりの少女との小さな、しかし大きな出会いがありました。その少女は動作が少し緩慢でした。一つのことに取り組むと、何度もやり直し、結局何をやってもタイムアウトということになります。でも聖書のお話にはとても目を輝かせて集中して聴くのです。彼女は動作のことなどで学校ではいじめられておりました。教会学校でも仲間と歩調が会わず、いつもひとりでした。ある時私は、全員によって書かれた聖書カードを壁に貼り出したとき、私は目を疑いました。何度も書き直しやっと書き上げたその子の字が、消しゴムのカスだらけの中で生き物のように浮き出ていました。私はこの子の動作の意味が分かりました。緩慢に見える動作は、この子にとって心への焼付けプロセスなのです。この子のお母様によれば、3歳の時の交通事故により頭を強く打ちつけ、この子はだめになってしまったというのです。そうではないことを何とかお母さんに分かってもらう努力が、私にとって必要となりました。短所に見えるところは実は秘められた長所なのです。私は時間との関係で、仕事を適宜流しておりました。それが現代のスピード感覚なのです。しかしこの子は時間を超越し、本当に「分かる」ための丁寧な歩みをしております。私はわが身に照らし反省させられました。この子のように真心こめた丁寧な仕事をして行こうと。あの事故で確かに個性は変わったかもしれませんが、はるかに立派な個性が密かに神によって備えられていたことを思います。それにしても、ご家族の理解、学校や教師の理解、そしてクラスの周りの理解が大切です。今日のいじめ問題克服の鍵があると思われるのです。
 ところで本日の旧約聖書に「おおかみは小羊と共にやどり・・・」という御言葉があります。現在、日本では陰湿ないじめ問題が起きております。正におおかみが小羊に襲いかかり、ひょうが子やぎに食いつき、という状況であります。正に現代日本社会をいくつかの大きなやみがおおっております。ところで私は、この御言葉を読む度に、アメリカの黒人(アフリカン・アメリカン)のマルティン・ルーサー・キング牧師が(ご承知のとおりアフリカン・アメリカンの人々の差別撤廃と公民権保障のため、整然たる非暴力による運動を指導し、また力強い説教や講演活動を通じて、ノーベル平和賞を受け、その後心無い白人により暗殺されました)、‘I have a dream’「私には夢がある、子どもたちが肌の色、民族の違い、性格の違いを乗り越えて、ともに手をつなぎ、同じテーブルの上で食事をともにする時が必ず来る」、と言われたことを想い起こします。差別とはいじめの最たるものであります。バスの席にも隔離する、仲間に入れてあげない、などでありますが、それは正に現在の日本社会で同じことが起きていると言って良いのではないでしょうか。キング牧師は言います。差別する白人の子の心の将来を心配する、差別させて放置してよいのか、彼らのために祈ろう。また差別されるアフリカンの我々の子の将来を心配する、差別され、卑屈にさせることにならないか、彼らのために行動しよう。しかし差別は我々のうちにないのか。訴えかけよう、非暴力による訴えをしていこう、胸を張って、と。
 ところでこの御言葉は続きます。「小さいわらべに導かれ」と。おおかみと小羊が仲良くともに伏す時が来ると言われているのです。

2.クリスマスの沈黙
ところで、聖書はクリスマスについて何を説明しているでしょうか。お読みいただいた福音書のクリスマスの記事を注意して読むならば、本当に不思議なことに、クリスマスの出来事の意味の説明について、聖書は沈黙しております。マタイもルカも事実を淡々と報告しているだけであって、一切解説めいた説明を入れておりません。
 闇の中で星だけが輝き、東方から来た学者たちを導き、ひとりの幼な子と出会わせ宝をささげさせ、学者たちは帰っていく。星と学者たち以外は、一切語っていない。これがマタイの語り口です。一方、天上の世界と地上の世界とがあって、天と地は、悲惨と苦悩、罪と死の暗闇によって分かたれている。地上はどこまでも深い闇の中にある。突然、天の扉が開いて、天上の輝きが一瞬地上を照らす。しかしすぐにその扉は閉じられ、再び暗闇に戻る。地上の世界は以前と比べて何も変っていないかのように見える。しかしもはや全く同じではない。そこにひとりの幼な子が生まれていた。これがルカの語り口です。実に不思議な語り口です。いずれも信仰によって読まなければ何も見えてこないような語り口です。マタイはあたかも本当のクリスマスはあの星だけが祝っていた、またルカは本当のクリスマスは地上ではなく天上においてだけで祝われたと、言わんとするかのようです。たしかに、約2千年前の昨晩、クリスマスの出来事の意味を本当に理解し、そして事の重大さにどよめき、神のなさる御わざを讃め頌えずにいられなかったのは、輝く星のもと御使いたちと天の軍勢であって、地上の人間ではありませんでした。
クリスマスが起こったあの日の夜、地上は深い闇に包まれていました。闇は何も語りません。質問への応えを拒否する世界、それが闇です。ベツレヘムの野原も真っ暗でした。羊たちは身を寄せ合ってうずくまり、羊飼いたちも衣服を何度もきつく引き締めて目を伏目がちにしつつ、楽しそうな会話もなく、闇の中で辛い役目に耐えていたことでしょう。そして小さな村ベツレヘムの片隅の馬小屋には、疲れきったヨセフとマリヤがいました。これはまさに地上の姿そのものです。彼らは為政者の人口調査のための強制命令による旅路の途中にありました。命じられた住民登録の旅は原籍地の役場に行かねばならず、しかも自費負担であり、貧しい者には過酷なまでに耐え難いものでありました。正にここには疲れきっている人々がそこにいました。ましてや身重の女性にとっては。
ヨセフとマリヤはとにかくベツレヘムにつき、マリヤは月満ちて初児を産み、布にくるんで飼い葉おけの中に寝かせたのでした。宿屋には彼らが泊まれる場所がなかったと記されております。神の子の家族がいくら宿屋の扉をノックしても、受け入れてもらえません。彼らは冷たい人の心の闇に直面しました。これは神の子の訪れに心の扉を開こうとしない私たち人間の罪の光景が映し出されております。ようやく彼らはある宿の片隅の馬小屋で、休みを取り、幼な子を飼い葉おけの中に寝かせました。
 その場所からほど近いまき場で、冬至という最も夜の長い深更、地上は深い暗黒に支配され、羊飼いたちは寒さの中で沈黙していました。ところがそこで突然、天が開け、主の栄光が地上を照らしたのです。真っ暗な地上がほんの一瞬、まばゆい光の輝きによって照らし出されました。この天上からの輝きの中で、羊飼いたちに声が聞こえます。
 
3.羊飼いが見たもの
 羊飼いというのは、いわゆる遊牧民であり、定住する土地を持っていませんでした。定住者からは、怪しまれたり、軽蔑されておりました。羊飼いたちは、格差社会において見捨てられた人々、さびしい人々、心に大きな闇を持つ人々の代表者たちでもあります。富める人、賢い人、多くの仲間がいる人たちが、幼な子に泊まる場所を与えるのを拒否した一方、馬小屋に住むような人々のもとへ、神の子の御誕生が告げられます。
 羊飼いらは光に打たれ、その輝きが一体何か分からず、恐れ、おののきました。しかし天からの声は「恐れるな」でした。神を畏れる人々に、神は「恐れるな」と言ってくださいます。そして御使いたちは「見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」と言われました。何百年も前のイザヤの時代より預言されていた救い主のお誕生です。しかしどうやって神の子のお誕生と分かるのでしょうか。天使は言います。「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」と。しるしは、「幼な子が布にくるまって」いること、そして「飼葉おけに寝かしてある」ことでした。
「布にくるまって」とは、オムツをしてというのが本来の意味です。すなわちそのお姿は、普通の赤子とまったく同じであられたということであります。しかしこの子は成長し、神と人から愛され、多くの人々を癒し導き、やがて十字架にかかられ、そこからおろされた後の主イエス・キリストのお姿も亜麻布に「くるまれていた」(ルカ23:53)のでした。そこには、お生まれになる時から、十字架にかかられるまで、神に従順でご自身をささげきられたお姿であります。そのお姿を、羊飼いらは前もって見たのでした。
また「飼葉おけの中に」眠る幼な子でした。それは、3度も繰り返して証言されています。聖書が3度記述するときは、特に重要な意味が込められております。飼葉おけの中のまったく見栄えのしない、賎しいお姿の幼な子、それはやがてゴルゴタの丘の十字架につけられて死ぬ救い主のお姿であり、まだだれも葬ったことのない岩を掘って造った墓に納められるお姿を、予兆するものであります。しかも「寝かされて」おりました。それはすべてを神にゆだねきっている姿であり、正に主イエスのお姿であります。
 羊飼いたち、この世において失われていた者らは、これらの光景を目撃しました。その奥にある意味、救い主がどのような方であるかを不思議な仕方で感じ始めておりました。
 自分を少しも義人と思わず、罪の束縛に苦しむ人々、彼らは正に、クリスマスの夜に、聖霊の啓示を受けて、神の子、救い主がどのような方かを知らされました。その彼らの耳に聞こえてきたのが、沈黙の夜空を突き破って響き渡る天の讃美の大合唱であったのです。
「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、御心にかなう人々に平和があるように。」

4.新しい讃美の歌が湧き上がる
 羊飼いたちは言います。「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせくださったその出来事を見てこようではないか」と。そして飼葉おけの中の幼な子と出会いました。
羊飼いたちの心に大きな驚きと感動が生まれました。神の子が飼葉おけの中でお生まれになった!神の子が玉の寝台でお生まれになったならば、彼らの心にそれほど大きな感動は起きなかったかもしれません。しかし彼らが見たのは、馬小屋の飼葉おけの神の子でした。飼葉おけ、それは彼らの日常生活の舞台であります。彼らの生活のただ中に神の子が生まれたもうたのです。飼葉おけは彼らの貧しい心です。私たちの心の象徴であります。私たちのもとに、私たちの心に神の子がお生まれになる驚きの感動です。
彼らは、神をあがめ、讃美しながら帰ったと書かれております。クリスマスには沈黙が支配していることをお話いたしました。しかし、この驚くべき出来事を見ることを許された者もやはり沈黙してしまうのではないでしょうか。それは説明をしたり、余計なことをしゃべりだすことをいとうような沈黙、本当の喜びに満ちた者にしかできない沈黙であります。説明などありません。口を破るのは、ただ讃美、新しい歌声であります。祈り、心を高くあげ、沈黙する者のみが歌声をあげることができます。羊飼いたちは、神をあがめ、讃美しながら帰って行き、闇の力におさえこまれている周りの人々をも、喜びの歌の輪に包み込んで行くのです。
天上の光が天の扉とともに再び閉ざされました。しかし羊飼いたちにとって、この地上をどれほど闇の力が再び支配しようとも、もはや闇の力は打ち破られたのであります。「やみはこれに勝たなかった」(ヨハネ福音書1章5節)のです。究極においてこの世を支配するのは決して闇ではありません。光であります。しかもその光の子が闇の中に生き始め、私たちとともにおられる!この事実を知った羊飼いたちは、かつてのように諦めのうちにあり、闇の中にまどろんでいる存在ではもはやありません。喜び歌い、天の御使いたちの群れに加わるのであります。この羊飼いたちに、きょう私たちは私たち自身の姿を見出さないでしょうか。
 現在の日本社会は疲れきっているかもしれません。しかし羊飼いたちも喜びの歌声の中に引き入れられ、そして「この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた」のであり、「見聞きしたことが、何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、また讃美しながら帰っていった」のです。ここに光に打たれた新しい自由人の讃美と語り伝える生き方が始まっております。新しい生き方の誕生です。
 クリスマスは神の子の誕生です。そして神の子の誕生を知らされた者の心に神の子が誕生し、知らされた者が冬枯れの中で新しく生き始める時であります。閉塞社会をおおうやみ夜に天が破れ、新しく希望に満ちた人々が誕生するのであります。冒頭にお話したあおの少女は聖句を一所懸命覚えておりました。一度覚えた聖句は絶対忘れないのです。御言葉が心に宿るのであります。子ども修養会の時、この子だけがテーマ聖句を覚えていて空で言えたのです。その時クラスの子たちから一斉に祝福の拍手が起こりました。私は本当に神に感謝しました。ひとりの子が立ち上がるのは本人だけの課題ではなく、周りの理解と祝福あってこそであります。心に御言葉が宿ると、クリスマスに御子が宿るように、私たちは喜びの讃美をしていく者へと変わり、回りの者も変わるのであります。この子はその後立派な教師になりました。ほかの生徒たちもそれぞれの道へ。
いじめ問題は人間の心の内に、心の闇にあります。人間の心の中におおかみが小羊と共に住んでいるのであります。しかしクリスマスは、その中に小さなわらべが御言葉とともにお生まれになり、導き始めてくださる出来事を教えてくれます。かならず、おおかみと小羊が共に宿るときが来る、すべての人間の心の中において。そして小さなわらべが宿る人々は回りを変え始めるのであります。私は祈ります。まずここにおられるお母様方、保護者の方々の心に今年のクリスマスに、御子がお生まれになることを。そして、私たちの大切な聖学院小学校の児童たちの心にイエス・キリストが宿らんことを。それがこの国と社会を必ず良い方向へ変えて行くことでしょう。We have a great dream, too. 私たちもまた大きな夢を抱いてまいりましょう。

投稿者 admin : 15:02

2006年12月20日

聖学院小学校クリスマス礼拝 説教

12月16日に行われた聖学院小学校クリスマス礼拝・井本晴雄先生(聖学院中高聖書科教諭)のお話をここにご紹介します。


説教題 『最高のクリスマスプレゼント』
聖 書 ルカ伝 6章38節

「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

 クリスマスには不思議なことがあるものです。これからお話するのは実話です。アメリカで本当にあったお話しです。ワシントン州レッドモンドという町の郊外で、居心地のいいトレーラーハウスに引っ越したばかりの家族のことです。その家族には息子で末っ子のマーティという8才の男の子がおりました。
 8才のマーティは12月になり、家族の他の誰よりも張り切っていました。ブロンドでとっても人なつっこい子どもでした。だれかに話しかけられると、子犬のように首をかしげて見上げる奇妙な癖がありました。でも、実はこれは、このマーティの左耳が生まれつき聴こえないからです。しかし彼はそのことで不平を言ったことはいままで一度もありません。

 お母さんはある日、このマーティが何か隠し事をしているのに気づきました。お母さんはちょっと心配でしたが、しばらく様子を見ることにしました。それは、マーティはいつもと変わらず朝起きてベッドもきちんと直しますし、夕食の手伝いも一生懸命してくれるからです。また、もらったお小遣いは1セント、10円くらいでしょうか、1セントも使わず貯金しているみたいだったからです。でもお母さんはこのマーティが何を隠しているのかまったくわかりませんでした。でもその秘密は、友だちのケニーになにか関係がありそうです。
 ケニーとはマーティの一番の友だちでした。この春に友だちになったばかりですが、それからというもの二人はずっと一緒でした。マーティはケニーと近くの小川や原っぱでカエルを捕まえたり、リスにピーナッツをやったりしていました。
 マーティの家族はそんなにお金持ちではありませんでした。切り詰めた生活をする毎日でした。でも何とかお母さんのパートから得る給料で、工夫をこらせば、子どもたちにそんなにみじめな思いをさせずにやっていくことはできました。でも、ケニーの家はお金にとっても困っていました。ケニーの家はケニーともうひとりの子どもにお腹いっぱい食べさせたり、暖かい服を着せてやることさえ満足に出来ないようでした。そんな風でも、ケニーの両親はきちんとした、とてもよい人たちでした。
 ある日マーティの家で、マーティとケニーは座ってお母さんがツリーを飾るのを手伝っていました。がやがて、ふたりはひそひそと話し始めたかと思うと、もうふたりの姿は見えなくなっていました。二人は裏口から外に出て、牧草地の周りに張り巡らしてある電気フェンスの下を用心してくぐり、牧草地に出て行きます。ケニーの家はこの牧草地をはさんで向こう側にあったので、ふたりはいつもそこを行き来していたのでした。でもお母さんはちょっと心配でした。動物用の電気フェンスとはいえ、人間が触るとやけどをしてしまうからです。
 ある日お母さんが目のまえに迫ったクリスマスのために台所でクッキーを焼いていました。そこにマーティが顔を出しました。マーティは何ともうれしそうで、そして誇らしげな様子でこういいました。「ママ、僕ねケニーにクリスマスプレゼントを買ったんだ。見たい?」お母さんは、マーティが何となく隠し事をしていたのはこのことだったのかと思いました。「ママ。プレゼントはね、ケニーがずっと欲しがっていたものなんだ。」そういいながら、マーティはタオルでていねいに手を拭いてから、ポケットから小さな箱を取り出しました。そのふたを開けると中にはポケットコンパス、方位磁石が入っていました。マーティはお小遣いを全部貯金してそれを買ったのでした。
 お母さんは「すごいわね。マーティ。」と言いながら、ちょっと困ったことになったと思いました。なぜならお母さんは、ケニーの家がお金に困っていることをケニーのお母さんがどう思っているか知っていましたし、ケニーの家では家族の間でさえプレゼント交換が難しいということも知っていたからです。ですからケニーの家では、だれかに贈り物をしたり、だれかとプレゼントの交換をするということはできなかったのです。ましてや、お返しの出来ないプレゼントを子どものケニーが受け取ることはお母さんとしてはなんとも複雑な気持ちになることは考えてすぐにわかりました。
 そこでマーティのお母さんは、ケニーの家がお金に困っていること、だからそんなプレゼントをもらったらケニーのお母さんが困ってしまうことなどを、言葉を選びながらマーティに、ていねいに伝えました。マーティはお母さんの話しを聞いてちょっと元気をなくした顔をしましたが、すこし考えて「わかったよ、ママ。じゃあ秘密にすればいいよね。そうすればマーティのお母さんだって僕からだってわからないんだから。」マーティのお母さんも「そうね」としかいえませんでした。
 クリスマス・イヴの日は朝から冷たい雨が降っていました。それはまるでマーティのお母さんの気持ちをあらわすかのようでした。雨は夜になってもいっこうに止む気配がありませんでした。雨ほどクリスマス・イヴに似合わないものはありません。もしあの日も雨だったら、東方の博士たちはどのようにしてやって来たのでしょうか。マーティのお母さんは台所で最後の料理をしていました。オーブンの中のハムとパンの焼け具合を見ていると、マーティがこっそりとドアを開けて出ていくのが目に入りました。パジャマの上にコートを着て、真っ赤な包装紙で包んだ小さな箱を大事に抱えています。中にはあのケニーへの贈り物のポケットコンパスが入っているのでしょう。
 マーティは雨でぬかるんだ牧草地を通り抜け、庭を通ってケニーの家の前に着きました。マーティは気づかれないように抜き足差し足で玄関の階段を登りました。雨で濡れた靴がぐしゅ、ぐしゅっと音をたてます。そしてそおっと家の戸を少しだけ開け、そこからあのコンパスの入った箱をそっと家の中に置きました。そしてまたそっと扉を閉め、大きく深呼吸をして、ドアのブザーに手を伸ばし、力一杯おしました。
 マーティは急いで向きを変え、一目散に引き返しました。ケニーに見つかってはもともこもないからです。階段を一気に駆け降り、庭を駆け抜け、牧草地を、とその時、暗闇に一瞬光が見えました。なんとマーティは慌てていて、あの動物用の電気フェンスに思いっきりぶつかってしまたのです。マーティはそのショックで濡れた土の上にひっくり返ってしまいました。マーティは目を白黒させて気絶していました。が、やがて体がぴくぴくと動き、あえぐように息をすると、ゆっくり、ゆっくり、やっとの思いで我が家のドアまでたどり着いたのです。マーティは、自分の身に何が起きたのかよくわからないままで、とってもおびえていました。
「マーティ、どうしたの?」
「フェンスのことを忘れていたんだ。ぶつかってひっくり返っちゃった。」
お母さんは息子の泥だらけの体を抱き寄せました。マーティはまだふらふらしていました。電気フェンスにぶつかったのでしょう口から左耳にかけて、赤い傷がみみずばれのようになっています。お母さんはとりあえず傷口を消毒し、ホットココアを作ってやりました。マーティは間もなく元気を取り戻しました。そしてベッドに入り、毛布を掛けてもらうと、すぐうとうとし始めました。が、そっと目を開け小さな声でこうつぶやきました。「ママ、ケニーに見られなかったよ。絶対大丈夫。僕だってわからないはずだよ。」

 お母さんはその夜ベッドの中で悩みました。クリスマス・イヴだというのに悲しくて、納得がいかない気持ちでした。なぜこんなことが起きたのか。小さな子どもには残酷すぎると思ったからです。しかも神さまがわたしたちに望まれること、すなわち与えること、それも名前を伏せて、人に知られず与えることをした子どもに起こってしまったからです。お母さんは程んど眠れず朝を迎えました。しかしその翌日お母さんはこの疑問に対する答えを神さまから頂くことになります。
 次の日の朝には雨も上がり、気持ちのいいクリスマスの日でした。マーティの顔のやけどはまだ痛々しく見えましたが、幸い傷はそれほどひどくないようでした。朝、マーティの家族のみんながクリスマスツリーの下に置かれたそれぞれのプレゼントを開き終わったころ、案の定ケニーがやって来ました。お母さんはちょっと複雑な気持ちでしたが、ケニーのはち切れんばかりの笑顔を見て、心が落ち着きました。ケニーは一刻も早くマーティにコンパスを見せたかったのです。そしてその贈り物が、贈り主不明で、とっても不思議なプレゼントであることを息もつかずに話してくれました。その様子からケニーがマーティのことを疑っていないことはわかりました。とうのマーティは終始にこにこ顔でケニーの話しを聞いています。その小さな顔からは笑みがこぼれ落ちんばかりでした。
 その時お母さんはあることに気づきます。ケニーとマーティは身ぶり手ぶりを加え、一生懸命それぞれのクリスマスの出来事について話していました。でもケニーが話す時、マーティはいつものように頭を傾けていなかったのです。その姿は、あたかも聞こえるはずのない左の耳でケニーの声を聞いているかのようでした。
 それからしばらくたって学校の保健室からマーティのお母さんに連絡がありました。それは「マーティの耳は両方とも正常です。」というものでした。
 マーティの聴けなかった耳がどのようにして回復したのかはわかりません。担当するお医者さんは、電気フェンスによるショックのためではないかといいます。そうかも知れません。でもお母さんにとってそんなことはどうでもよかったのです。ただただお母さんにとって感謝だったのは、あの雨の降るクリスマス・イヴの夜行われたすばらしいクリスマスのプレゼント交換を見せていただいたからでした。お母さんも、そしてわたしたちも、その夜、ケニーの家の庭先で、心を込めたマーティのプレゼントと、そしてそれをもらってもお返しの出来ないケニーに代わって、神からマーティに与えられたすばらしいプレゼントを、忘れることが出来ないのです。

投稿者 admin : 17:54

クリスマス礼拝、ページェント


 2006年12月16日(土)女子聖学院チャペルをお借りして、クリスマス礼拝とページェントを行いました。荘厳な雰囲気のチャペルで、児童は練習した歌や台詞を大きな声で披露し、主イエスの降誕メッセージを演じました。感動的なクリスマスでした。また、すべてのプログラムの最後では、客席の保護者も起立していただき、ヘンデル作曲の「ハレルヤコーラス」を英語で、声高らかに歌い、良い冬休みを過ごせるように宗教主任の祝祷を受けました。ハレルヤの感動を胸に、聖学院小学校は冬休みに入りました。
 1,2階とも満席で、お立ち見をしていただいた方々もおられました。温かい目で応援下さった保護者の皆様、ありがとうございました!皆様からの大きな拍手と、ご家庭でのお褒めの言葉は、きっと子ども達に自信を与えることでしょう。一度しかない感動の場面を共有できた事は、また幸いな事といえるでしょう。
 ご家族の皆様が、お元気で良いクリスマスシーズンを過ごし、心新たに新年をお迎えになられるようお祈りしています。

   

(写真左)熱心にお話される井本晴雄先生(聖学院中高聖書科教諭)
→お話の内容はこちらから読むことができます
(写真右)荘厳な雰囲気のチャペルは、気迫に満ちています。

投稿者 admin : 16:52

2006年11月30日

心に響き続ける歌声・演奏-小学校音楽会開催

11月17日(金)に、恒例の聖学院小学校音楽会が聖学院講堂で開催されました。ウイークデイの実施ではありましたが、ご家族が大勢来場され、補助席も含め1、2階とも満席となりました。
生徒たちは合唱や合奏、司会進行、挨拶、楽器準備などの役目をしっかり果たし、誇らしげでした。学年が上がるごとに音楽面での技術が向上し、感動の連続でした。一人ひとりの声、受け持つ一つひとつの楽器がお互いの特徴を生かし合い、持ち味を発揮する時、素晴らしい曲が出来上がることを改めて教えてくれたように思います。
教職員の今年の出し物は「まっかだな」の二部合唱で、子ども達の応援を感じながら楽しく歌うことが出来ました。また、音楽会の最後は全校合唱、英語での「When the Saints Go Marching In(聖者が街にやってくる)」。英語教師のコノリー先生のトロンボーン演奏も加わって素晴らしい出来ばえで、感動いっぱいのフィナーレとなりました。

 

→聖学院小学校のホームページ アルバムページに当日の写真アルバムを掲載しています

投稿者 admin : 09:57

2006年11月20日

聖学院小学校 収穫感謝礼拝(11月14日)

聖学院大学政治経済学部副チャプレン 相澤 一 先生のお話
(Iテサロニケ5:16~18)


 今日は、収穫感謝の礼拝ですね。収穫感謝・・・言葉が難しいですね。簡単に言うと、畑に作物が実った、田んぼには稲も実った、果物も実った、嬉しいな、神様、ありがとうございます、っていうことです。まだ難しいかな? もっと簡単に言うと「神様、ありがとうございます」っていうことです。で、今日はちょっとばかり「神様、ありがとうございます」っていう話をしてみようと思います。

 みなさんの顔についている、その目は、いくらでしたか? いくらで買いましたか? タダですよね、タダ、0円。でも、もし誰かが「百万円出すから、その目、切ってもいい?」って言われたら、嫌ですよね。百万円じゃ安い、一億円だったらいい、って思いますか?一億円だって、やっぱり嫌ですよね。じゃあ、その耳は、いくらで買いましたか? 耳もタダですよね。で、やっぱり、もし誰かが「その耳、百万円出すから切っていい?」って言われたら、やっぱり嫌ですよね。百万円出しても切られちゃうのは嫌だと思う耳を、神様はタダでみなさんにつけてくれている。鼻だってそうですよ。なくなったら眼鏡がずれて困るだけじゃないんですから、ね。神様は、百万円払っても一億円払っても切られちゃうのは嫌だと思う目とか耳とか鼻とかを、タダでみなさんにつけてくれているんですよ。
 それから、空気だってお金払ってないでしょ? でも、空気だって貴重品なんですよ。空気がなかったらみんな死んじゃうんですよ。雨だってタダで降ってくるでしょ? でも、雨が降らなかったら水がなくなって困るんですよ。
 で、そういう本当の貴重品、頭でも何でもそうですよ、神様にタダでもらっているんです。命だってそうです。命、なくなったら嫌でしょ? 空気だって水だって、なきゃ困るでしょ? 神様は、そういう、なきゃ困る大切なものをタダでみなさんにくれているんです。そういうことが分かってくると、神様に感謝しなきゃいけないことっていっぱいあるんです。でも、「そうかなぁ」って思う人は、試しに、一分間、息を止めてみてください。そうすれば「ああ、地球に空気があってよかったなぁ」って思いますよ。
 で、神様に感謝しなきゃいけないことがいっぱいあるってことが分かると、目がある、耳がある、爪も生えている、百万円払っても切られちゃったらイヤなものを神様はタダでくれている、っていうことが分かってくると、今度は、みなさん毎日感謝しなきゃいけないことがいっぱいあるのが分かってくるんです。
 みなさん、誕生日にはケーキ食べたいでしょ? でも、もし誕生日に家に帰って、今日の晩御飯は、ご飯にシャケの切り身にお新香だけ、だったら「何だ、誕生日なのにケーキも何もなくて、こんなショボい晩御飯」と思うでしょ。でも、海にシャケの切り身が泳いでいるんじゃないですよ。シャケを採って、塩漬けにして、切り身にして、って、シャケの切り身って、本当は大変なんです。お新香だって大変なんです。畑にお新香が生えているわけじゃないんです。種を蒔いて、育てて、収穫して、それからお新香を作るんですよ。お米だってそうです。お米を作るのって、本当に大変なんですよ。分かるでしょ? 
 でね、神様だって「神様、ありがとうございます」って言っている子には「そうか、喜んでくれているのか」って嬉しくなって、もっともっといいことをたくさんくれるんです。神様だって「神様、感謝します」って言ってくれる子には「そうかそうか、喜んでくれて私も嬉しいよ」って、もっともっと嬉しいことをたくさんくれるんです。みなさんだってそうでしょ? お友達に何かしてあげて「ありがとう」って言ってもらえたら、みなさん嬉しいでしょ? で、「もっとたくさんしてあげよう」と思うでしょ? 神様だって、みんなの喜ぶ顔を見るのが嬉しいんです。
 よく「心が豊かだ」って言いますよね。心が豊かな人ってどういう人か分かりますか? 
スゴいご馳走を毎日食べている人が豊かなんじゃないですよ。ご馳走じゃなきゃ嬉しくない、っていう人より、シャケの切り身でもお新香でも、何でも感謝して食べれる人の方が、心が豊かなんです。
 ですからみなさん、心が豊かな人になってください。神様はみなさんに目とか耳とか鼻とか、百万円出しても一億円出してもなくなっちゃったらイヤだな、と思うものをタダでつけてくれているんです。そのことに気が付いてください。そして、神様、ありがとうございます、神様、感謝します、って言える人になってください。そうすると、神様だって嬉しいから、そういう人には、いいことがたくさん起きますよ。

投稿者 admin : 11:57

2006年11月17日

収穫感謝礼拝、カレーパーティ


11月14日(火)、神様からの恵みに感謝し、収穫感謝礼拝を行いました。礼拝では、聖学院大学政治経済学部副チャプレンの相澤一先生をお迎えし、子どもたちへ収穫感謝の意味について、わかりやすくお話していただきました。
→相澤先生の講演内容はこちらからご覧ください


また、この日はカレーパーティも行いました。PTA実行委員の方々と、各クラスのボランティアの方が、全校分のカレーを作ってくださいました。愛情いっぱいの、とても美味しいカレーでした。お昼は校庭にピクニックシートを広げ、先生方もご一緒に、感謝してカレーをいただきました。
ご奉仕下さった方に感謝・ご指導下さる先生方に感謝・そして私たちになくてはならぬ物をすべて与えて下さっている神様に、大きな声で「ありがとうございます!」をお伝えする聖学院小学校の日々です。
カレーを作ってくださるPTA会長 森 賢史様をはじめ、お父様、お母様が何とも嬉しそうであったこと、それを受けてカレーをいただく子どもたちも幸せいっぱい、お腹いっぱいになりました。

→聖学院小学校ホームページ アルバムページに当日の写真アルバムを掲載しています

投稿者 admin : 18:36

2006年09月12日

林田秀彦先生講演会開催される


 前聖学院中高校長であり、現在鎮西学院理事長・院長の林田秀彦先生による講演会が、聖学院小学校PTA主催で9月11日(月)10時より、聖学院小学校講堂にて開催されました。

講演は「いのちを育てる」-愛する子どもたちの雄々しく強い成長を祈って-と題して行われました。講演の中で林田先生は、神様の声を聞くことにより人生の目標が定まっていくことや、子どもの心の声を聞く感性を親が育てていかなければならないことなど、「聞く」ことの大切さを語ってくださいました。聖学院の教育は、神の声に従い他者のために他者と共に生きることにより平和をもたらす人を育てる教育(Only One For Others)であることも話されました。

講演には駒込キャンパス各校の保護者が集われ、皆熱心に林田先生のお話に耳を傾けていました。


投稿者 admin : 14:07

2006年08月22日

WAIWAI ENGLISH CAMP IN SEIGAKUIN PRIMARY SCHOOL

立秋を超えたとはいえ、まだまだ暑さが厳しい毎日ですが皆様お元気ですか。もうすぐ学校が始まりますので、元気に登校してください。お待ちしています!

さて、聖学院小学校では暑さに負けずに、ホットなEnglish Camp が行われています。聖学院駒込キャンパス3校(聖学院小学校、聖学院中学校、女子聖学院中学校)の希望者が集って、楽しい中でも充実したプログラム展開がなされています。小学校5年~中学校2年が参加していますので、年齢を超えた新しい友達もできその面でも意味のある企画となりました。

小学校のHPに写真を掲載しています。→こちらからご覧ください

             ○~~~ ○ ●~~~ ●     
     ★English☆ (^(エ)^) (^(エ)^) ☆Camp ★
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【当日の様子について学内報より】

8月21日(月)22日(火)の両日、聖学院中学校・女子聖 学院中学校・聖学院小学校から児童生徒が68名、各キャンパスから学校長や英語教育に責任を持つ教師が参加して、プログラムが始まりました。
聖学院小学校講堂でのオリエンテーショ ンで、縦割りグループメンバーと先生方の紹介があり、参加者の気分も徐々に盛 り上がってきているようでした。教室に国旗を掲げ、カナダ担当のKent Hill先生・ドイツ担当のDivid Gann先生・アメリカ担当のNate Blakeslee先生・メキシコ担当のNate Blakeslee先生・オーストラリア担当Graeme Messer先生・イギリス担当のKaren Cronin先生が楽しい授業をしてくださいました。先生方の教室にグループごとで回る児童生徒たちは、それぞれの文化や言語に触れながら、英語力をつけることができたのではないでしょうか。
その後のランチは聖学院食堂で、バイキング形式で美味しく頂き、全体交流会ではゲームやグループ対抗クイズ、クレーラ先生の手品の発表など、本当に楽しいキャンプとなりました。

投稿者 admin : 19:11

2005年12月19日

聖学院小学校クリスマスイルミネーション

耐震フレームが素敵に変身!


校舎の耐震フレーム(「斜張橋」の技術を応用したパラレル構法による耐震校舎)に電飾を施し、美しいイルミネーションが完成しました。夜になると発光ダイオードが輝き、クリスマスムードが漂っています。12月5日のフジテレビ「スーパーニュース(16:55~)」でも紹介されました。

【イルミネーション点灯期間】
p.m.17:00~p.m.24:00
2006年1月6日まで点灯

聖学院小学校へのアクセス:続きを読むから地図をご覧いただけます。

聖学院小学校

投稿者 admin : 13:31

2005年10月12日

感動いっぱいの小学校運動会

 聖学院小学校の運動会は、8日(土)に無事終了しました。
空模様が少々心配な状態でしたが、全部のプログラムを実施することが出来ました。競技や係活動 に参加する児童は、どの子も真剣そのもの。優勝を目指して、競技し、応援もする一人ひとりの表情は輝いていました。また、保護者の皆さま方も、「親子競技」やPTA競技に積極的にご参加くださって、有り難うございました。
 今年は、聖学院中高の吹奏楽「2001年宇宙への旅」の力強い演奏、女子聖学院中高のチェアリーディング部の華麗な演技、そして毎年楽しみにしている聖学院幼稚園の可愛らしい「パラバルーン」が加わりぐーんと幅が広がった感じが致します。一貫校の素晴らしさを、今回も味合わせて頂きました。教師・児童・保護者そして応援に駆けつけてくださった多くの方々と共に作り上げた、感動いっ ぱいの聖小らしい運動会でした。今回は、昨年に引き続き「紅組」優勝、PTA優勝杯は41回生(6年生)の手に渡りました。

投稿者 admin : 19:45

2005年09月24日

3318名の来場者で、大賑わいだった「聖学院フェアー」!

天候に恵まれて、23日(金)秋分の日の「聖学院フェアー」は大盛況でした。聖学院講堂をお借りしての馬頭琴の演奏やモンゴルのダンスは、素晴らしく児童一同は心を奪われているようでした。集中して聞き、演奏が終わると大きな拍手をする児童のメリハリのあるマナーの良さを感心された出演者の方が、何と「馬頭琴」の楽器を聖学院小学校にプレゼントしてくださいました。楽器を大切に持ち帰った大野校長先生は、「誰か、この楽器を演奏できるようになるといいですね。」と嬉しそうでした。幼い時にこのような本物の演奏に触れることは、とても大切であると再確認致しました。次には、クリスマスにPTAの方々からこのようなプレゼントがあります。聖学院の子ども達が心に栄養をいっぱい得て心豊かに、身体は丈夫に成長するよう期待しています。

学校に戻って、第2部の「フェアー」は、子ども達の大好きな行事の一つです。正門前には、1時間ほど前から列が出来始め、開門の10時には長蛇の列。今日ばかりは、学校がアミューズメントパークのように楽しく飾られて、どの子もニコニコでした。同窓会「ぶどうの木」のゲームコーナーや本校に入学をとお考えの方々への「学校紹介コーナー」へも、大勢の方々が来場されました。この日の入場者は小学校・幼稚園で3318名で大盛況でした。このプログラムのために、ご尽力くださいました事業部をはじめとする、お一人ひとりに感謝致します。また、5・6年生は楽しむだけでなく、教師と共に準備や片付けの役割を担ってくれました。この大規模な「聖学院フェアー」の一部の担い手になれることを子供たちは誇りに感じている様子です。やっていただくことから、周囲の方々のために労する喜びを知る成長のターニングポイントです。

すべてを終えて、事業部の方々と全教職員がホールに集合「閉会式」をしました。共に汗した一人一人は、多くの苦労と共に感動をも味わわせていただきました。素晴らしい聖学院小学校のPTAの結束は、縦と横の協力体制ができ、より強まりました。「お疲れ様でした、ありがとうございました!」と言葉と握手を交わす教師やお母様方の瞳に感動の涙が光っていました。すべてを導き、祝福してくださった神様への感謝の祈りで終了しました。

<当日の様子>
  

  

投稿者 admin : 13:57

2005年09月21日

聖学院フェアーのお知らせ

聖学院フェアー開催!
9月23日(祝) 10:00~14:30

~皆さまのご来校をお待ちしています~

「聖学院フェアー」は近隣の方や関係者の方に大人気の行事です。毎年3,000人程のお客様をお迎えし、一日、大いに楽しむイベントです。
在校生には、フェアースタート前に、毎年音楽や劇、映画等「心の栄養」をもらうプログラムが準備されています。今年はモンゴルに古くから伝わる馬頭琴を、著名な演奏家であるアヨーシ・バトエルデネ氏が演奏して下さいます。

一般の皆さまは、入場券が必要となります。ただし、卒業生は受付で記帳し、入場券は不要となります。

なお、学校紹介のコーナーは4Fの6-1教室になります。(ご記名も教室に準備しておきます)聖学院小学校と、本校から誕生した聖学院アトランタ国際学校のご紹介を致します。皆さまのご来場をお待ちしています。

  

<演奏者紹介>
アヨーシ・バトエルデネ(馬頭琴)

1975年モンゴル国ゴビアルタイ県生まれ。4歳より父について馬頭琴を習い始める。5歳のとき初めて舞台で演奏。モンゴル国立芸術大学、同大学院修士課程卒。同大学にて教鞭をとる。
第1回(1989年)及び第2回(1995年)のジャミヤン(馬頭琴を現代の楽器に生まれ変わらせた生みの親)全国馬頭琴コンクールにてグランプリ受賞。1998年国立民俗学博物館の『大モンゴル展』にて演奏のほか、各国でアンサンブル・リサイタルの演奏活動を行う。2001年より東京都八王子市に在住、東京・大阪を中心に活動を行い、小中学校でのモンゴル文化の普及演奏にも取り組むなど、幅広く活動している。2004年5月21日、サントリーホールにて馬頭琴・ピアノ・チェロのトリオコンサートを行い好評を博した。

投稿者 admin : 16:30