聖学院教育会議基調講演(10/23) (2)

  聖学院教育会議 基調講演 (2000/10/23)

「まず隗より始めよ――教育のゆくえ」

II. 国家観のコペルニクス的転回と教育の革命

1. 学者間であれば、誤りは相互批判を通して訂正することができますが、ヒトラーの場合と同じく、政治家はその誤った思想で政治指導を始めるから、その誤りはなるべく早く訂正されねばならないのであります。それがまたデモクラシーのよさでもあります。ラインホールド・ニーバーは『光の子と闇の子』の序文で有名な言葉を残しております。「人間のもつ正義への能力がデモクラシーを可能ならしめ、人間のもつ不正義への傾向がデモクラシーを必要とする」。今の日本は、まさにデモクラシーを必要とする状態にあるのではないでしょうか。

2. 聖学院大学総合研究所では、長年にわたってデモクラシーの源流、市民社会の歴史、国家の役割の変化などの研究を続けてまいりました。中曾根氏の思想的問題は、率直に言ってデモクラシーの理解の欠陥であります。たとえば、中曾根氏は、「日本のような国は自然的国家で、歴史と伝統で形成された国だから、善良で、従順で、戦略性が非常に少ない」『国家戦略』p.43)。この日本国家の自画自讃は、はたして周辺諸国の同意を得ることができるでしょうか。聖学院大学の飯坂学長は、中曾根氏の性格を「ナルシシズム」という概念で以前論評したことがありましたが、中曾根氏の場合、ナルシシズムは相当強度なものだと思います。ナルシシズムも一種自閉症的症状で、他者の世界が分からないのであります。しかし、他者が分からないことは自己をも分からなくするのであります。まず、この国家観は、上に述べた『国体の本義』の国家観と、それをいささか単純化しただけで、全く同質のものであるということを、指摘せねばならないのであります。このような国家観は、日本国憲法の「国民主権」の考えとは相容れない思想であることも明白であります。イギリスの十七世紀は、国王絶対主義の「自然的国家観」に対する人権に基礎をおくデモクラシーの相剋から、国家観におけるコペルニクス的転回を経験しました。コペルニクス的転回の「転回」とは元来天体の回転の意味でしたが、やがてそれは社会の「革命」の意味に用いられるようになりました。この革命的変化が、デモクラタイゼーションという世界史的動向をつくり出しました。それが日本国憲法に受け入れられた新しい日本の「国のかたち」なのであります。

3. 中曾根氏は教育基本法には「民族、歴史、文化、伝統、家庭、つまり共同体の要素」が抜け落ちていると言いますが、教育刷新委員会はそうではなく、はっきりした見解をもってそれを取り入れなかったのであります。戦前の日本への「反省」があったのであります。というのは、教育刷新委員会は、そのような考えが戦争へと日本国民を駆り立てた思想であることを認めていたからであります。それを深く反省し、そして確固たる意志をもって、個人の尊重、人格の育成ということを教育の基本に据えたのであります。教育刷新委員会において教育基本法の作成に携わったのは、日本人の当時の代表的知識人・学者・政治家(芦田均、天野貞祐、河井道、羽渓了諦、務台理作、森戸辰男)のような錚々たる人たちでありました。その人たちは、知的に優れていただけではなく、教育の戦争責任の真摯な反省に立つ良心的な人たちでありました。ところで、教育改革国民会議の委員たちの名簿を見ると、教育刷新委員会の委員たちの学殖の広さ、また反省の深さと比して、或る格差を感じさせることは否めないのであります。たしかに、この基本法の作成は敗戦直後のことであり、今日の国民会議の委員に見いだされるような教育勅語的見解を懐く人たちもいましたが、しかし、真剣な討議のあとそれは乗り越えられて立派に一致に達し、アメリカからの圧力ではなく、日本人の知性の表現としてこの文書を作成したのであります。とりわけその指導的役割を果たしたのは、東京文理科大学学長務台理作博士でした。この人は、仏教の背景をもち、西田幾多郎の信頼を得た哲学者でしたが、まさにこの人は、「個人の尊重」を基礎として、そこから家庭、社会、国家へと考えるべきだという筋道を明らかにしたのであります。戦争中の「滅私奉公」 ――驚いたことにこの言葉を森首相は用いるのでありますが――ではなく、つまり、先に国家ありではなく、まず個人の確立から、家庭、社会、国家へという、まさに教育のコペルニクス的転回がそこに起こったのであります。教育刷新委員会の委員たちは、「個」と「公」というような今日議論されている問題を知らないのではなく、それを十分すぎるほど知った上で、新しい日本の形成の大方針として教育基本法を造ったのであります。務台理作は、個人の尊重から始めるということがなければ、日本はまた国家主義に戻る危険があることを洞察していたのであります。これはまさに、国家観のコペルニクス的転回に基づく、教育の革命の開始でありました。

4. 今日教育基本法の改革を言う中曾根氏やそれに同調する人々は、この深刻な反省をもって日本の将来を考えた優れた知性の指導者たちに、十分な反論をすることなく、あるいはできないままで、はやまって政治的に改訂に持ち込むようなことをすべきではないのではないでしょうか。勝田吉太郎氏という「国民会議」の委員のひとりは、戦争中の田辺元の『種の論理』などを持ち出しておりますが、ベルリンの壁の崩壊の出来事の意味を理解できないアナクロニスティックな共産主義者のようではないでしょうか。世界史がそのような思想を否定し克服してきたのです。世界史に学ぶことなしに、民族国家の歴史を言う、この知的混迷を国民は正しく判断しなければならないのであります。

5. 問題は1945年の出来事をどう見るかということに立ち返ってきます。たしかに中曾根氏は、「自由主義、民主主義を基調とする世界史の大潮流」(p.15)とか「世界史の正統的潮流」(p.73)とかという言葉を用いてはおりますが、それをもって1945年の出来事をどう解釈しているか、そのあたりがよく分からないのであります。どっちを向いているのか、よく分からないのであります。1945年の出来事とは、「世界史の正統的潮流」が、あの『国体の本義』に表された日本的ナショナリズムを破ったということではないでしょうか。新約聖書には「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」(マタイによる福音書9:17)という言葉が記されています。この言葉を借りて言えば、新しい酒とはデモクラシーであります。敗戦によって入ってきたデモクラシーは、日本的な古い皮袋を破りだしたのであります。その皮袋とは明治以後の日本近代化を導いた「和魂洋才」という文化形成の枠組みであります。敗戦後約半世紀、日本は経済復興につとめました。そしてそのために残っていた古い酒が提供されました。そしてそれは使い果たされてしまったのであります。デモクラタイゼーションはグローバリゼーションとなって、日本の古い革袋をやぶり、そして流れだしたデモクラシーという新しいぶどう酒は汚れだしたのであります。

6. それを「日本解体」という見方でとらえ直すことは、歴史認識に混乱をもたらすだけではないのであります。それともこう言うことができるかも知れません。「日本主義」の色めがねをもって「世界史の大潮慌」を見て、それによって「日本解体」を感じとったということで、ヒトラーの戦略が「燃えやすいナショナリズムに火をつける」というものでしたが、それと同じく、この見方は日本の中に戦後ずっとくすぶり残ってきたナショナリズムをふたたび燃え上がらせることを狙った戦略となって、日本の将来を不幸ならしめるのであります。金大中大統領の政治はそうではないのです。その「歴史観」こそ近隣諸国から問題にされているものではないでしょうか。敗戦を終戦と言うことに対して、韓国人や中国人は、それをごまかしと見ているのであります。その問題は、日本主義的経済復興が隠蔽してしまい、日本主義が台頭したのであります。戦争責任の問題は、その決着がないまま残ったままであります。旧約聖書の詩篇32篇に、「われ言いあらわさざりし時には、わが骨ふるびおとろえたり」という言葉がありますが、ワイツゼッカーのようにドイツの罪を率直に認めることをせず、そのことによって骨がふるびおとろえる、それが日本の政治が残した今日の状況なのであります。第二の敗戦の日本は、内面の焼け野原となり、そしてそこは、預言者エゼキエルがみた「枯れた骨の谷」となっているのであります。

7. 中曾根氏の「国家戦略」の背後にある思想の論理的問題は、「世界史の大潮流」と「日本主義」とを同一平面上において対立させたことにあります。金大中は、そうではなく、デモクラシーと人権という普遍的価値に優位をおき、アジア的価値をそれに従属させたのであります。しかし、中曾根氏においては、同一平面上での対立図式のゆえに、世界史の大潮流が「日本解体」をもたらしたと判断することになり、その対立は解けなくなるのであります。その結果、「世界史の大潮流」に逆らって日本主義を再興せざるを得なくなるのであります。中曾根氏の戦略の誤りは、この思想の誤りから出てきました。務台理作は、ヘーゲルの正反合の弁証法を、キリスト教の中にある生と死とよみがえりということをもって理解しておりました。二次元的平面の上では正と反とは対立しますが、その対立は止揚され、より高い次元において合に達するのであります。中曾根氏の平板な論理が、ワイツゼッカーにあるものをもつことができなくなくし、金大中にあるものをもつことができなくしているのであります。たしかにあの敗戦は、日本国家にとっては前代未聞の出来事であり、まさに巨大な「否定」的経験でした。しかし、本当に強い精神とは、「否定」を受け入れてかえって高次の立場に上がることができる精神ではないでしょうか。否定を受け入れないで、それを排除しようとする、それは虚弱な精神であります。強靱なる精神は、否定を媒介として、高次な肯定に立ち上がる精神なのであります。中曾根氏の戦略は、虚弱な精神による戦略ではないでしょうか。戦争中の将軍や参謀は傲慢で強がりでしたが、その精神は虚弱でした。そもそも傲慢(アロガンス)は虚弱な精神の反面なのであります。

8. 虚弱な精神は、和魂洋才方式による日本近代化の所産でありました。しかし、魂の弱さは、経済復興によってしばらく傲慢な精神によって隠散されました。しかし、その内面の弱さは、バブルの崩壊によって露呈するのであります。やがて政府は、この事態に狼狽し、しきりに「こころの教育」を言うようになりました。これはまさに「第二の敗戦」であります。戦後政治の誤りとは何でしょうか。東洋の教えに「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、この格言に導かれて経済主義に一辺倒し過ぎたことであります。しかし、聖書は、「ひとはパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる」と教えます。それが魂の強さを造るのであります。戦後政治の失敗は、その結果である最近の少年犯罪だけで見るのではなく、その原因において反省すべきではないでしょうか。その原因は何でしょうか。ドイツに、泥沼に落ちた人が自分を救おうとして手を伸ばし、自分の頭の毛をひっぱったという話しがありますが、今日の教育崩壊の原因が戦後政治にあることを洞察できる者は、まさにこのようなありさまを想像するのであります。原因の悪が、結果の悪を直そうとするからであります。今国民はIT革命の波にのってコンピュータを立ち上げるだけではだめで、精神を立ち上げねばならないのであります。革命はたましいに及ばなければならないのであります。それによって日本の個性が失われると恐れるひとがいます。しかし、そうではない、そのことによって失われるのではなく、かえって新しく生かされて行くのであります。千年前、ゲルマン民族は蛮族でした。しかし、キリスト教を受け入れて、ゲルマン民族はキリスト教化されました。それによって決してゲルマン的特色を失ったのではなく、新しく生かされたのであります。日本は、仏教を受け入れて豊かにされたのであります。和魂洋才で、これまで魂を試練にさらさないできた日本は、キリスト教を受け入れて、魂を試練にさらさねばならない、そして動きをもつ、強さをもつのでなければならないのであります。

戻る 次へ