理事長メッセージ「拉致問題、そして聖学院教育会議」 -1-
 理事長メッセージ 2002年10月18日
  

拉致問題、そして聖学院教育会議

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[ 第2回 教育会議 ]

学校法人聖学院 理事長・院長 大木英夫

 聖学院教育会議は最終年を迎えた。それについて書く前に、最近の北朝鮮の拉致事件について述べたい。それは聖学院にとって関係があるからである。聖学院大学総合研究所の康仁徳客員教授(元韓国内閣の統一相)によって知らされた。横田めぐみさんの弟さんが聖学院高校卒であることが分かった。それ以来この事件の被害者家族のことを思いながら聞く報道には、心の痛みが増し加わるばかりである。家族は、拉致問題の解決を正常化交渉の前提とせよと求める。政府は先には「拉致問題の解決なしに正常化交渉なし」と言っていたはずだ。ところが政府は、ピョンヤン合意に基づきそれを正常化交渉の()()行なうと言い出した。首相は、北朝鮮の対応に誠意を認めるような発言さえした(その後調子を変えた)。何という家族の心情とのずれであることか。

 「前に」(交渉の前提)と「中で」(交渉のアジェンダ)とは逢う。その違いを家族たちは敏感に感じているのではないか。「中で」取り扱う場合は、拉致間題は構造的に政治目的の手段となる可能性が出てくる。外交力ードとして利用される可能性がある。拉致された人々の24年の懊悩とその家族の4半世紀に亙る苦悩を政治的に「利用」する、それは決してあってはならないことだ。

 森鴎外の『山椒太夫』の安寿と厨子王の物語も日本海を舞台とした。哀しい物語である。「ひとさらい」、それは非人間的極悪の犯罪行為ではないか。人権の問題である。深く「倫理」の問題である。医の倫理がある、経済の倫理がある、政治にも倫理の問題がある。政治における倫理の問題とは何か。近代政治に入ってきたマキアヴェリズムの問題である。近代政治家外交官にしてマキアヴェリズムの影響を受けない者はいない。国交正常化の「中で」というとき、彼らは、この問題を政治的に利用するという誘惑に駆られるのである。政治家も官僚も功にはやる種族である。それにたいする道徳的抑止があるだろうか。韓国にも拉致問題がある。最近その家族たちは、ピョンヤンの一件でノーベル賞を得た金大統領に不満をぶつけた。この犠牲を背後にして彼ひとりが功なったということか。其の倫理性のある指導者は、「一将功なって万骨枯る」であってはならない。キリストは、万人を生かすために、みずからを犠牲にした。

 日本の倫理性の喪失は重症である。われわれは、横田めぐみさんのことを思いながら、日本の倫理性の回復の課題を真剣に受け止めねばならない。デモクラシーにおける政府の役割は、国民の権利を守ることである。デモクラシーの単純な原則は、政府は社会の秩序を確保し国民の福祉を実現することであり、「人民の福祉が最高の法」(salus populi suprema lex esto)でなければならない。政治家はそのための奉仕者でなければならない。日本の政治における倫理性の喪失は、最近の汚職問題だけではない、もっと深い問題である。小泉首相の「交渉の中で」という政治的脈絡の中で拉致問題が外交力ードとして利用される不正義が犯されないよう、国民は鷲のような眼をもって見張らねばならない。

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