誰のための教育か−4−
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■子どもを信じること

 音楽が好きなら音楽でいいです。ところが、子どもが「中学、高校のころからやらないと音楽の才能は伸びないんだから、もう学校に行かないで音楽やりたい」と言っても、親は「V6とかミスチルになれるのはほんの一握りだから、ともかく高校だけは行け」と絶対に認めないのです。たいてい親が勝って高校へ行くのですが、「こんなことをしていては自分はどうにもならない。」という思いで高校に行きますから、その子がしっかり勉強するはずがないです。しかも「勉強をさせられたために、音楽の才能を伸ばす機会を失った。それは親のせいだ」となるのですから、その子の人生はほとんど真っ暗です。

  
親が音楽をやらせたとします。彼は一生懸命音楽やります。堂本光一君のようなすばらしい人気者になるかというと、たぶんなりません。その点は親の方が正しいです。では、ならなければ彼はだめになるかというと、なりません。「自分はこれだけ頑張ったけれども、スターにはなれそうもない。でも、ある程度人に聞かせるぐらいの能力はある。


▲ネイチャーゲーム(「教育力の開発」部会)

だから、ボランティアでも、アルバイトでも、そういうところで音楽を生かせれば、それで自分は幸せだから、なんとか頑張っていこう」となるのではないでしょうか。「ラーメン屋さんへ行って昼間は手伝おう。自分で納得して選んだ道だから」と、自分で人生を築いていきます。頑張る気もなくなりません。これが、それぞれの個性を生かすということです。

 ところが、昔の考え方に固まっている親は、それがなかなか出来ません。そこが、「個性を伸ばす」「人格の完成を目指す」「自分の思い中心に生きていく」という教育が出来ない大きな問題点です。でも最近の親はけっこう分かってきています。どういう子どもに育てたいかと聞くと「勉強ができて、東大、大蔵省に行かせたい」というのはぐっと減ってきました。「みんなと仲良くやれる子にしたい」とか「人格の完成を望む」という答えが多いのです。これは今までの方式で頑張っても幸せになれない、あるいはついていけなくて不幸な子どもたちがたくさん出るという現象を見て、そういう考えになったんでしょう。「灘中、灘高、東大、オウム」なんてコースもできました。あるいは「東大、大蔵省、刑務所」というコースもできました。どうも偏差値だけでは幸せになれない、妙な物に引っ張られないしっかりした人間性を作ることの方が大事だということを、親もだいぶ分かってきたのではないでしょうか。「子どもを信じる」ということが、教育の一番の基本であります。

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